2006年5月4日(木) 滋賀合宿

 滋賀合宿に日帰り参加してきました。
 渋滞を避けるために朝の4時過ぎに家を出て、2時間程のドライブで会場に到着。みなの寝込みを襲いました。
 帰りは夕方五時半頃に帰宅の途につきました。関ヶ原の辺りが混みそうな感じだったので、山越えのルートを選択し、そのまま一気に南下して桑名に出て23号線に乗りました。長島の辺りで混雑しているだろうと覚悟していたのですが、拍子抜けするほどガラガラで結局一度も渋滞に捕まることなく3時間ほどのドライブで帰宅できました。

 合宿2日目の参加者は20名ほどでしょうか?
 いつものメンバーがいつものようにいろいろなゲームをプレイしていました。
 恒例の全米を網羅した鉄道ゲームもプレイされていました。
 Here I Standもプレイされていて、スルタンや各国の王様が捕虜になっていたそうです。
 馬鹿でかい箱のトワイライトインペリウム第3版もプレイされていました。
 そういえばデザイナーも参加していることもあり、前日は三国志にょたが何回もプレイされていたそうです。彼が新作のポイントtoポイントマップのゲームを持って来ていたのですが、「これもにょたになるの?」と尋ねてしまいました(笑)。
 そういえばデザイナーも参加していることもあり、白村江の戦いや、同人ミニゲームがいろいろプレイされていました。
 U野さんが電話でふーらーに駅まで迎えに来てと頼まれた時にゲーム中だからダメと断っていました。ふーらーは仕方なく、会場までタクシーで来ていたのが気の毒でした。

 私がプレイしたゲームは、Battleship Carnival(同人)、ドリームゲーム(同人)、指輪の謎(HJ)、人狼新撰組(同人)、銀英伝バトルライン(同人)です。

 Battleship Carnivalは朝30分ほどで終わるゲームはないかということでプレイしました。6人プレイです。
 詳細はこちらです。

 指輪の謎はK徳さん、S藤店長、K君、私の4人でプレイしました。
 指輪物語をテーマとした20年ほど昔のゲームで、K君の生まれる前に作られたゲームです。
 ゲーム開始早々、最短コースでK徳さんのサムが滅びの山へ登ります。これは怪しいと見た黒の乗手の私は丁度手札にあったサムカードを使用してK徳さんの手札を確認し、守備良く「一つの指輪」カードを奪います。その後トムボンバルディの道案内でサウロン城に帰還しますが、サムの謎掛けによって指輪を奪われてしまいます。次の私の手番に謎掛け返しで見事に指輪カードを奪って勝利しました。
 もう1ゲームしました。今度はK徳さんに変わってYさんが入ります。
 私はまた黒の乗り手です。
 最初の手番にいきなり「一つの指輪」を手に入れた私はまっすぐサウロン城へと向かいます。あからさまに思えるかもしれませんが、前回も全く同じルートを辿っているのでそれほど不自然でもありません。しかし、K君のフロドが何気に使ったゴクリカードによって「指輪」を奪われてしまいます。フロドは直ちに大鷲を呼んで滅びの山へと飛びます。簡単に勝たせてなるものかとサムS藤店長は謎掛けを連発するも指輪を奪えず、却ってフロドの手札を充実させてしまいます。
 次の手番だった私は翼竜恐るべき獣でフロドの後を追います。そしてフロドカードで指輪を奪います。ところがフロドの手札にはアラゴルンはいるは、善の軍勢、中立の軍勢、エントまでいる始末で、戦闘となったらとてもかないません。仕方がないので謎掛けでフロドの戦力を奪おうと試みますが、失敗し、逆に手札を奪われてしまいます。ここでフロドは見事に指輪カードを引き返して勝利しました。

 人狼新撰組は人狼のシステムに新撰組のキャラクターを取り入れた同人ゲームです。近藤勇、土方歳三、沖田総司をはじめとした新撰組隊士の中に長州の間者が紛れ込んでおり、毎夜の見回りで一人ずつ新撰組隊士が殺されて行くゲームです。
 各隊士にそれぞれ特殊能力が設定されてキャラクター性を出しています。
 10人ほどでプレイしました。私は一番最初に殺されて何もできずに終わりました。もちろんそんな悪逆非道な間者が生き残れる訳がなく、長州の陰謀は阻止されました。
 その後もう一度プレイされましたが、悪業深い間者共は前回と全く同じ人物で、私は前世の記憶からその2人を切腹させるべく投票し、その通り相次いで切腹となり、2日で退治して最小被害で切り抜けたのでした。

 銀英伝バトルラインをK徳さん、Yさんと3回プレイしました。
 詳細はこちらです。

 ドリームゲームはウォーゲームをデザインするゲームで、クニッツァ デザインのハリウッドというゲームのシステムを流用した同人ゲームです。
 K徳さん、H瀬さん、Y口さん、K君、私の5人でプレイしました。
 国産初のウォーゲームは、カザマホビー社の航空母艦でした。デザイナーは伏見健二。ソフトマップながら電子判定装置のピコピコが人気のゲームでした。それでいて兵科記号にはドイツ式を採用するなどマニアックな面もあるゲームでした。このゲームは他に選択肢がないこともあり、売れに売れ、カザマホビーの屋台骨を支えることとなります。その後、カザマホビーは岡田厚利デザインのタイガーIを発売します。これは戦車戦ゲームの決定版と言って良いゲームでした。小林源文のボックスアートと、映画「戦闘機対戦車」シナリオ用の零戦特別ルールが人気を呼び、総合評価21ポイントと国産ゲーム史上最高評価を受ける傑作ゲームでした。カザマホビーはこの2作品で業界を席巻し、健全経営であったこともあって業界第1位の地位を不動のものとして勝利しました。
 業界2位となったのは、Kマダイ社でした。富本たつやの描く萌えスコルチェニーが人気の203高地からスタートしたゲームメーカーでしたが、その後はSFゲームに流れ、鈴木銀一郎デザインの宇宙戦艦ヤマトゲームなどを発売していました。
 業界3位は国産初の戦車戦ゲームを発売したK徳ジャパンと国産初のSFゲーム超人ロックを発売したYポックでした。特に超人ロックは打ち抜き加工もされていない厚紙に印刷しただけのチープなコンポーネントが伝説となった作品でした。
 業界最下位は新参のHテクノスでした。このメーカーは国産最低のクソゲーとして悪名高い「幻の八八艦隊」(総合評価4ポイント)で有名でした。

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