2005年5月2日(滋賀合宿)

 S藤さん、H川さん、H瀬さん、A立さん、私と他一人の6人プレイです。
 開戦前の主力戦闘機はドボアチンD520でしたが、開戦と同時にスピットファイアに一掃されてお払い箱となります。
 代わって採用されたのが、風間工廠のMC202でした。ドイツ製のBMW801に水噴射装置を装備した高性能機でした。期待を担って登場したMC202でしたが、航続距離は400キロほどで、満足に戦えず戦局は悪化していきます。
 戦局の悪化から次の主力戦闘機として高速戦闘機を求められます。これに応えたのは、S藤鉄工所でした。2重反転プロペラや補助ロケット等有りとあらゆる手法を駆使して時速1000キロを超えた超高速戦闘機をエントリーします。しかし、採用を決める模擬戦では現行のMC202に敗れるのでした。
 MC202は次の第3世代の主力戦闘機としても採用され、ベストセラーとなります。
 MC202の戦績は勝ったり負けたりで、戦局は膠着状態となります。
 S藤鉄工所の1000キロ戦闘機はその高速性能を買われて迎撃戦闘機として採用されていました。
 制空権に不安があるため、爆撃機にも空戦能力が求められるようになり、戦闘爆撃機の競作が行われました。これに誉エンジン装備のムスタングがエントリーしますが、何故か採用されませんでした。
 このムスタングはしかしその高性能を買われて長距離護衛機として採用されました。
 その後も戦局は一進一退で、採用戦闘機も各メーカーに別れ、MC202で3世代に渡って主力戦闘機の座を維持した風間工廠が圧勝しました。



2000年3月26日(TSS例会)

 競争試作は新人さんを含めた5人プレイです。
 最初の主力戦闘機に採用されたのは零戦(ターボチャージャー装備で最高速は600キロを超える!)でしたが、非力な火力はワイルドキャットやスピットファイアを撃墜することができず、貧弱な防御力は敵機の攻撃に簡単に火をふく始末で戦局は悪化する一方でした。それでも、コルセアをラッキーヒットで撃墜して(2d6で3以下で撃墜のところで見事3を出した)花道を飾って次代の主力戦闘機に席を譲りました。
 零戦の後を襲った主力戦闘機はHさんのFw190でした。これは強力で悪化した戦局を立て直すことに成功します。更に、HさんはTa152Hを開発してトップメーカーの地位を不動のものとして勝利しました。

 第2戦はY口さんがプレイしたいと言うことでプレイが始まりました。しかし、私のカードの巡りがことのほか良く、次々に強力な新型機を開発して軍に採用されていきます。そのため、他のメーカーから全く採用されることがなくなってしまいます。これは、独占禁止法に触れてしまったようで、Y口さんから、仕切直しを要求されてしまいました(笑)。

 仕切なおした第3戦は前回の反動からか、私はロクなカードに恵まれず、結局1機も正式採用されずにゲームは終わってしまいました(笑)。


2000年4月2日(TSS例会)

 競争試作は7人プレイでした。
 最初の主力戦闘機に採用されたのは、K藤2号さんの隼でした。BMW801にスーパーチャージャーを付け、補助ロケットに点火すれば、時速600キロに迫る速度を叩き出す高性能機でした。しかし、そのために航続力が犠牲となり、最初の実戦では、航続距離が足らずに不戦敗。次のスピットファイア戦では先手を取られ貧弱な防御を突かれて敗北と、連敗を喫し、戦局は悪化の一途をたどります。こうして、K藤(2号)隼戦闘隊の悪名を残したのでした(笑)。
 隼の後継機を決めるコンペは紛糾しました。まず、TraJanさんが設計した時速800キロに迫る最高速度を誇る戦闘機(ただし、滞空時間は30分足らず(笑))が政治的圧力でコンペへの参加を拒否されます。更に参加した6社の戦闘機は事前の選考では優劣が付け難く、全機での空中戦という前代未聞の審査となりました。私の設計したムスタング(誉エンジン装備)はその空中戦で2機を撃墜し、正式採用を確実としていました。しかし、採用されたのは、YENさんの鍾馗でした。YENさんは判定官を買収して判定結果を覆してしまったのです。
 しかし、そんな経緯で採用された戦闘機が敵機に対抗できるはずもなく、鍾馗は3連敗を喫して祖国を敗戦へと導くのでした。
 私のムスタングはその後のコンペで長距離護衛機として採用されましたが悪化を続ける戦局は長距離護衛機など必要とはせず、勝利得点は0でした。
 勝利したのは、対重爆攻撃機で敵重爆を相手に奮戦した(はずの)Y口さんでした(笑)。
 いやぁ、メーカー同士で足を引っ張り合うと、敗戦一直線ですね(笑)。


2000年4月16日(TSS例会)

 競争試作は都合3回プレイされました。
 今回はあまりにプレイヤーが不甲斐ないため、射撃ルールを少し変更して、大火力機を随分不利にしました。しかし、その甲斐もなく、第1戦ストレートで敗戦。第2戦も少しは抵抗したものの、やはり敗戦と相成りました。

 第2戦では、T之内会長がすこぶる優秀なムスタングを開発して敵機に対して優位にあったにもかかわらず、学徒兵でも乗っていたのか全く歯が立たず、戦犯となっておりました(笑)。

 第3戦は非常に珍しいことに勝ちが先行して戦局は有利に進みました。ムスタングなどの優秀な戦闘機が輩出したためです。そのおかげで戦局は前人未踏のレベル7まで進み、軍部は勝利に沸き返りました。しかし、勝利に驕ったのか、軍部はムスタングの後継主力戦闘機に何をとち狂ったのか、コメートを採用してしまうのです。如何に高性能とはいえ、滞空時間15分で主力戦闘機の役割がつとまるはずもなく、あっさりと戦局は五分まで押し返されてしまうのでした。


2000年4月22日(TSS例会)

 競争試作は今日は3回プレイされました。
 最初のプレイはSIVAさんのリクエストでプレイされました。
 初プレイということで、SIVAさんはあまり活躍できませんでしたが、最終ターンの活躍(暗躍(笑))には目を見張るものがありました。
 最終ターンの軍の要求仕様は長距離護衛機でした。その当時最大の航続力を誇っていたのは、私が社内企画として暖めていたワールウインドでしたが、SIVAさんはこれに圧力をかけて、計画放棄として闇に葬ります。ならばと私が設計したムスタングもSIVAさんの政治的圧力によりに競争試作に参加することすら許されません。更に最終選考に残った3機の戦闘機に対してもSIVAさんの魔の手は伸びます。最終選考に残った3機の内、TraJanさんの戦闘機は航続距離を伸ばすためぎりぎりの出力のエンジンを装備していたのですが、そこにSIVAさんの工作によりエンジンの出力が低下、最終選考の空戦に際し、離陸もかなわず、脱落するのでした。
 しかしここまで暗躍したにもかかわらず、このコンペで正式採用を得たのは、判定官を買収して採用結果を覆したM川さんなのでした(爆)。

 第2戦はM澤さんを交えてのプレイでした。
 展開は珍しく戦局は優位に展開するプレイでしたが、何が悪かったのか最終ターンに気が付いてみれば、戦局レベルは3まで悪化しているのでした(笑)。

 第3戦も序盤は戦局で優位に立つものの次第に押し返される展開となります。
 しかし、SIVAさんの祖国勝利を思う献身的な活動もあって(笑)、最終的に戦局6レベルと優勢で終戦を迎えることができました。
 しかし、最終第5世代の主力戦闘機の要求仕様で格闘性能第一とされたときには、頭を抱えました。おかげでその時の最終選考機は紫電改と零戦でした。運良く紫電改が空戦で勝って採用されたから良かったようなものの、零戦が採用されでもしていたらどうなっていたことやら(笑)。


2000年4月30日(TSS例会)

 競争試作は前回の例会で初めてプレイしたM川さんが、プレイしたいと言い出して始められました。ストレート負けの敗戦でプレイタイムは僅かに30分足らずという結果に終わりました(笑)。M川さんは納得いかーんと午後から再戦されていました(笑)。

 第2戦ではK藤1号さんの名機紫電の大活躍が印象に残っています。
 私もプレイに参加していましたが、私が社内企画で暖めていた戦闘機は非常に優秀だったのですが、どれもこれもみんな社外からの圧力で破棄されてしまい、幻の名機ばかりとなってしまうのでした。私は航空機開発はスカンクワークスでなければならないと実感してしまいました(笑)。
 紫電の活躍のおかげで珍しく戦局有利で終戦を迎えました。


2000年5月4日(TSS例会)

 印象に残っているのは、S藤店長の九六式艦戦とK徳飛行機のシュワルベですかね。九六艦戦は第4世代、もうジェット機も飛ぼうかという時代に軍の要求が「格闘性能第一」ということで最終選考に残ってしまった戦闘機です。この期に及んで固定脚の戦闘機を出すかぁ!と皆の顰蹙を買っていました(笑)。残念ながら(?)九六艦戦は最終選考で隼に敗れてしまいました(笑)。
 シュワルベはK徳飛行機の秘蔵っ子でした。初期に手に入れたカードを今に見ていろとひたすらがめていたそうです。そして第5世代の主力戦闘機の競争試作となりようやくシュワルベが日の目を見るときがやってきました。しかし、その時の軍の要求仕様は「格闘戦能力」(笑)。K徳さんの遠大な計画は全くの水泡に帰したのでありました(笑)。


2000年5月27日(名古屋ゲームフェスティバル)

 はに丸さん、よしなりさん、WarBallさん、きりんさん、私の5人プレイです。私以外は全員初めてのプレイです。
 最初に主力戦闘機に採用されたのは、私の零戦でした。
 このゲームの零戦は非常に使い手が良く、今回のプレイでも、長距離護衛機としても採用され、更にエンジンや装備を更新しつつ、第2,第3世代の主力戦闘機としても採用されるのでした。
 しかし、確実に旧式化していたのも事実で開戦当初こそは2連勝を納めたのですが、その後3連敗を喫してしまい、前線では空飛ぶ棺桶呼ばわりされるような悪名高い戦闘機となってしまいました。
 その後もろくな戦闘機が採用されず、戦局は悪化の一途をたどり、ついに本土上空での空中戦となります。
 このときに採用されていたのが、よしなりさんの紫電改でした。ターボチャージャー付き誉エンジンを搭載し、2重反転プロペラで時速800キロを超える高性能戦闘機でした。期待に違わず紫電改は空中戦に勝利し、無条件降伏だけは避けることができたのでした。


2000年6月4日(TSS例会)

 O鋸さん、T之内会長、K森さん、私の4人プレイでした。
 O鋸さんが採用を決める空戦のパイロットに恵まれ(やたらダイス目が良かった)、第1から第3世代までの主力戦闘機の採用を独占します。それに対して私はそれ以外の採用を独占し、完全に2強の争いとなりました。K森さん、T之内会長は全然採用を勝ち取ることができません。特にT之内会長など、最終ターンに初めてコンペに参加できただけでした。
 私が採用された戦闘機は全てエアラコブラのバリエーション機でした。最初に採用された長距離戦闘機は寿エンジンを装備して航続距離を稼いだ戦闘機です。次に採用された迎撃戦闘機は水噴射装置付きのソ連製のAsh-85FNエンジンを装備し、二重反転プロペラと補助ロケットで時速800キロ近い速度を誇る戦闘機でした。このタイプは第4世代の主力戦闘機としても採用されています。最後に戦闘爆撃機バージョンもあり、それは、迎撃機バージョンに防弾装甲と自動消火装置を搭載して防御力を高めた戦闘機でした。
 勝敗は最終的にO鋸さんに逃げ切られてしまいました。

 第2戦でも、O鋸さんは絶好調でみんなの(特にM川さんの)顰蹙を買っていたようです。

 そのため、第3戦では、奢れるO鋸久しからず、ということになっていた様です(笑)。


2000年6月10日(TSS例会)

 競争試作はK藤2号さん、Y口さん、M川さん、私の4人プレイです。
 第1世代の主力戦闘機はY口航空機のD520が採用されました。フランス機が採用されるのを見たのは、私は初めてです(笑)。前線では、スピットファイア相手にいいところなく敗れ去っていました。
 これではいけないと、軍はすぐに新たな主力戦闘機を求めます。これはY口航空機の零戦が採用されます。零戦はワイルドキャット相手に完勝し、戦局を元に戻します。軍は更に強力な主力戦闘機を求めます。それに答えたのが、K藤2号製作所でした。誉エンジンを搭載したMC.202です。この戦闘機、500Km足らずの航続距離に泣かされながらも空中戦では無類の強さを発揮して優位に戦局を進めるのでした。これに満足したのか軍は戦闘爆撃機や長距離護衛機などの補助戦闘機の発注を繰り返します。それらの採用の過程で、K藤2号製作所が大量の採用を勝ち得ていきます。
 敵機にジェット機が登場し、これに驚いた軍も遅ればせながら第4世代の戦闘機を発注します。これに私はムスタング(ロケットエンジン装備(爆))で参加しますが、K藤2号製作所謹製のTa152に敗れ去ります。
 そして最後の第5世代。ロケットエンジンに執着する私は今度は零戦に取り付けて競争試作に臨むのでした。しかし、この戦闘機の真価を理解できない軍官僚共の政治的圧力により相手にもされませんでした(笑)。結局Ta152が引き続き採用され、ベアキャットに敗れて戦局レベルは6で終戦を迎えました。
 K藤2号製作所の圧勝でした。


2000年6月18日(TSS例会)

 競争試作は都合3回プレイされました。
 最初のプレイでは、最終ターンの終了と同時に戦局レベルは0となり、敗戦を迎えていたようです。

 次のプレイは私も参加しました。
 最初のプレイから引き続き参加した、M川さん、いとちゃん、T井さん、O鋸さんにHさんと私の6人プレイでした。
 我が国の主力戦闘機は敵機にまるで歯が立たず、軍は次々に新たな主力戦闘機を求めます。しかし勝てない(笑)。4世代に渡る主力戦闘機を立て続けに投入するも全敗を喫し、戦局レベルは1(本土上空を敵機が飛び回る状況)となってしまいます。
 まぁ、第4世代の主力戦闘機に採用されていたのが、96艦戦でしたから、当然といえば、当然なんですけど(笑)。ちなみにこの飛行機は風間航空工廠謹製だったりします(笑)。これの採用の経緯が笑えます。まず、軍の要求仕様が格闘性能第一でした。それを見越して私は96艦戦と栄エンジンを手札に暖めていました。ところが、そのエンジンを産業スパイに引き抜かれてしまいます。私は泣いて頼んで、イベントカードと交換してもらうのでした(笑)。96艦戦はスピードも遅く、航続距離も短いため搭載できるエンジンが少ないのです。なんとか設計を完成した96艦戦はその最高のマヌーバ性能によって最終選考に残ります。この時の最終選考には3機が残り3機掛かりでの模擬空戦となりました。特にいとちゃん飛行機の機体は高性能で本命視されていました。勿論96艦戦は最弱です(笑)。しかし最弱であるが故に相手にされず、生き残ります。いとちゃんは既に勝ったつもりになっていたのですが、私は判定官を買収しており採用をかっさらうのでした(笑)。
 第5世代の主力戦闘機には風間航空工廠の秘蔵っ子、シュワルベが採用されます。ロケットエンジン装備で時速1000キロを記録する化け物です(笑)。この戦闘機の活躍はめざましく、本土上空の敵機を一掃するのでした(戦局レベル2)。しかしロケットエンジンの悲しさ、敵が来てくれないと戦えないため、戦局は一進一退となり、最終ターン終了時に丁度敗戦と相成りました(笑)。

 第3戦は善戦したようで、戦局レベル4ぐらいで終了していたようです。
 いとちゃん飛行機は3戦全てに参加して、ついに1機も採用されなかったそうです。時に高性能な戦闘機を設計していたのですが、いとちゃん飛行機に足りなかったのは技術力ではなく、政治力だったようです(笑)。
 余談ですが、このゲーム、「世界の駄作機」との呼び名が定着しそうです(笑)。


2000年6月24日(TSS例会)

 最初のプレイは風間航空工廠の圧勝でした。祖国は敗戦となりましたが(笑)。
 まぁ、無理もない話で、今回私が採用を勝ち得た戦闘機は全て、飛燕のバリエーション機でした。最初マーリンエンジン装備の三式戦が採用され、その後、空冷のBMW801に換装した五式戦が戦闘爆撃機として採用され最後には、ターボチャージャー装備のユモ213のスーパー飛燕となっていました(笑)。しかし前線での評価は最悪で、敵機に落とされまくっていました(笑)。

 第2回戦は、M川重工の圧勝でした。大した性能の戦闘機を作っていたわけではないのですが、その分パイロットに力を入れていたようで、最終選考の模擬空戦では苦戦しつつも勝利を重ねていたのでした。これらの戦闘機は性能の割に意外に前線では好評で、実際に敵機に対して何度も勝利していました。きっと、練度の低いパイロットにも扱いやすい機体だったのでしょう。
 これと対照的だったのが、S山精機の雷電でした。2重反転プロペラ装備で最高速力は800キロを超える戦闘機でした。しかし、新参のS山精機は正当に評価されることなく、競争試作への参加を拒否されてしまいます。その後、何度か競争試作に参加するのですが、テストパイロットに恵まれず、採用されません。
 最高の性能を持つことは誰の目にも明らかであったため、悲運の戦闘機と呼ばれるのでした。その後補助ロケットを追加してレシプロ機としての限界を超えた速度性能を発揮し、ついに採用を勝ち取ります。しかし、この戦闘機は操縦が難しいのか、前線では期待ほどの戦果を挙げることはなく終わるのでした。
 戦局レベル2で終戦を迎えますが、この雷電がもっと早く実戦に参加していたら戦局は大きく変わっただろうとS山さんは言っていました。きっと後世、「超高速戦闘機<雷電>出撃す!」とかの架空戦記が書かれたりするのでしょうね(笑)。


2000年7月2日(TSS例会)

 最初のプレイでは、風間航空工廠が多彩な戦闘機群で9機種の正式採用機の内4機種を得て、勝利しました。
 中でも、セイバーエンジン搭載の飛燕が良かったですね。2000馬力級の液冷エンジンを搭載した飛燕の性能はそれは素晴らしいものでした。セイバーエンジンの機嫌の良い間は無敵でした。しかし、ゲーム中唯一ダイスでエンジン性能が決まる、セイバーエンジンの調子が悪くなったとたんに負けてしまいました(笑)。
 その後、第5世代の主力戦闘機に最高時速1000キロのロケット鍾馗を繰り出すも、最終選考の模擬空戦に敗れます。この鍾馗は迎撃戦闘機の競作に出そうとそのまま、社内企画として暖めていたのですが、余りにコストがかかり過ぎると、廃棄処分にされてしまうのでした。
 風間航空工廠最後の採用機はテンペストでした。ただでさえゲーム上最高の重装甲を誇るこの機体に、更に鉄板を張り付けて、空飛ぶ鉄の固まりとして戦闘爆撃機として採用されたのでした(笑)。
 結局戦局レベルは2で終戦を迎えました。


2000年7月16日(TSS例会)

 最初のプレイでは、主力戦闘機にろくな戦闘機を得なかったため、戦局は非常に苦戦となります。第1世代の主力戦闘機はMC.200、第2世代は零戦、第3世代はMC.202、第4、5世代はMig3でしたからね。性能はともかく、零戦を除けば、航続距離は500キロ程度のものばかりで実用性に難がある戦闘機ばかりでした。その割に終戦まで降伏せずに持ちこたえたのが不思議でした。
 勝利したのは、S藤鉄工所でした。風間航空工廠は採用されたのは、まっすぐ飛ぶだけしか能のないMig3(笑)だけでしたが、2世代連続で主力戦闘機に採用されたため業界2位となりました。

 2回目のプレイには、私は参加していなかったため、詳細は分かりませんが、S藤鉄工所のシュワルベ(ユモ004搭載のオリジナル)が「ジェット戦闘機?だめだめ、爆撃機にして出直してきなさい」と政治的圧力でコンペへの参加を拒否されたのが、ヒストリカルで笑えました(笑)。


2000年8月5日(TSS例会)

 最初のプレイは珍しいことに採用された戦闘機は全て日本機でした。最初に採用されたのはS藤製作所の隼でしたが、S藤隼戦闘隊の悪名を残して戦局を悪化させただけでした(笑)。その後に採用された零戦は奮戦しますが、敗勢は覆い難く、ゲーム終了時の戦局は2でした。

 2回戦はM川さんの遠来の友人を交えてのプレイでした。
 このプレイでは、最初に採用されたのは、風間航空工廠製作のMC.200でした。ソ連製の液冷エンジンを搭載し、600キロ近い最高速度を誇る高性能機でした。でも滞空時間は30分足らず(笑)。それでも敵機の方からやってきてくれたものですから、勝ってしまったりしました(笑)。
 その後の試作でMC.200対MC.202の最終選考がありました。MC.200は液冷の1200馬力級エンジンを搭載し、MC.202の方はフィアットの1000馬力にも足りない非力なエンジンを装備していたのでした(笑)。
 この時の終戦時の戦局は6と優勢でした。

 3回戦はM川さんの友人の方がもう一度プレイしたいということでプレイされました。この時は苦しい戦局が常のこのゲームとしては、全くの異例なことに敵機を蹴散らし、制空権を確保します。前人未踏の戦局レベル9に達し、勝利まで後1レベルと迫るのでした。残念ながらレベル10の完全勝利は逃しましたが、それでも終戦時の戦局は7とこれまでの記録を更新しました。この勝利の立て役者は5機種の主力戦闘機中4機種を制した風間航空工廠でした(笑)。


2000年8月20日(TSS例会)

 本日の競争試作は5人プレイでした。S藤さん、O鋸さん、O崎さん、S山さん、私です。
 第1世代の主力戦闘機は戦前ということもあり、性能よりも会社の政治力がものを言ったようです。S藤鉄工所の零戦が非常に優秀だったのですが、政治的圧力により参加を断念、結局、採用されたのは、判定官を買収していたO鋸飛行機のI16でした。この滞空時間30分足らずのふざけた戦闘機が開戦と同時にお払い箱になったのは、当然のことでしょう(笑)。第2世代の主力戦闘機に採用されたのは、S山精機の誉エンジン搭載のFw190でした。この戦闘機は優秀で制空権を奪取することに成功します。その後も改良を重ねつつ、第4世代の主力戦闘機としても採用されていましたが、旧式化していくことは否めず、末期には敵機にカモにされていました。
 今回は(いつもそうではあるのですが特に)、メーカー間での妨害工作が激しかったです。機体生産のサボタージュやエンジンの供給停止、政治的圧力による参加取り消し、果ては、判定官の買収まで日常茶飯事となっておりました。その結果はゲーム終了時戦局レベル1という、正に亡国の争いでした(笑)。


2000年8月27日(TSS例会)

 最初のプレイには、私も参加しました。
 第1世代の主力戦闘機に採用されたのは、S藤鉄工所のBf109でした。対抗する戦闘機のない指名採用でした。このBf109は続く、第2世代の主力戦闘機としても採用されましたが、それは、ライバルを政治的圧力で潰しての採用でした。流石、メッサーシュミットと感心してしまいました(笑)。
 戦局は一進一退を続けています。
 第3世代の主力戦闘機に採用されたのは、風間航空工廠のMC.202でした。この戦闘機は、第4世代の主力戦闘機としても採用され、戦争中最も長く主力戦闘機の座を占めた戦闘機となります。MC.202はとても運動性能に優れたいい戦闘機だったのですが、ちょっとスピードが遅くて(500キロ代後半)、ちょっと火力が弱くて、ちょっと打たれ弱くて、ちょっと航続距離が短いというので、前線の評判が悪く、敵機との空中戦でも負け続けていました(笑)。
 そして、戦局レベルも1となり、本土上空での防空戦となります。
 この土壇場で最後の主力戦闘機として採用されたのは、風間航空工廠のロケットシュワルベでした。この最高時速1000キロの戦闘機は見事、本土上空の敵機を一掃し、無条件降伏だけは避けることができたのでした(笑)。
 勝敗は僅差でS藤鉄工所の勝利となりました。風間航空工廠はMC.202の悪評に足を引っ張られて業界第2位に止まりました。


2000年9月10日(TSS例会)

 開戦時の主力戦闘機はS藤鉄工所の戦闘機でしたが、開戦と同時に役立たずの烙印を押されて退役していたようです。どんな飛行機だったのかすら私は知りません(笑)。
 第2世代の主力戦闘機となったのは、Y口航空機のBf109でした。しかしこの飛行機、航続距離が短く、戦場に到達した試しがなく、前線でその姿を見ることはありませんでした。そうかと言って、たまに戦線後方に飛来する敵機を迎撃に出ても返り討ちにあうという体たらくで、評判は散々でした(笑)。しかし、後継機に恵まれず、長く主力戦闘機の座にあったため、戦局は悪化の一途を辿り、最早、本土決戦のみというところまで追い込まれるのでした。
 この危機にM川重工の新鋭機が主力戦闘機に採用されます。ユモ213で二重反転プロペラを駆動する鍾馗です。この時速800キロを超える速度を誇る高性能戦闘機は本土上空の制空権を奪還し、敗勢をくいとめることに成功します。鍾馗は第4世代の主力戦闘機としても採用され、戦局を安定させるのでした。しかし、航続距離に難があり、第5世代の主力戦闘機としては採用されませんでした(それまでは、航続距離など気にする必要のない戦局だったのです(笑))。
 こうして採用されたのは、S木飛行機のワールウィンドでした。ターボチャージャー付きのマーリンエンジンを搭載し、有り余るパワーを持つ双発戦闘機でした。航続距離は十分で、空戦性能も鍾馗には及ばぬものの、さほど見劣りしないレベルで軍の期待を一身に背負った新鋭機でした。しかし、新興のS木飛行機では、カタログスペックに現れない不具合があったのか、実戦ではまるで役に立たず、祖国を敗戦へと導くのでした(笑)。


2000年9月24日(TSS例会)

 今日の競争試作は5人プレイでした。
 第1世代の主力戦闘機は風間航空工廠のBf109でしたが、航続距離が短く戦場に到達できません。これでは駄目と、すぐに次世代の主力戦闘機が求められます。しかし、何をとちくるったのか、採用されたのは、H飛行機のG.50。Bf109よりまだ航続距離の劣る戦闘機でした。その後の主力戦闘機の開発は難航し新型機の開発は遅々として進みません。戦局の悪化にあわてて、迎撃機を発注、M川重工が採用を勝ち取りますが、どんな戦闘機だったか覚えていないぐらいで、敵機に全く歯が立ちません。ということで、ストレートでの敗戦となったのでした。一応、役に立たなかったとはいえ、他にないとばかりに迎撃機が量産され、M川重工の勝利となりました。
 ストレート負けはあんまりだと再戦となりました。

 今度の第1世代主力戦闘機はM川重工のMC.200となりました。高速で運動性に優れ、火力も防御力もそこそこの優秀機でしたが、それは全て、航続距離を犠牲にして達成されたものでした。滞空時間30分足らずのこの戦闘機、実戦で勿論役に立つはずもなく、戦局は悪化していきます。しかし、後継機の開発は難航します。そのため、悪化する戦局に対するため迎撃機の開発が行われます。しかし、MC.200を超える戦闘機はなく、結局MC.200を増産して迎撃任務につけることとなります。航続距離以外はそこそこの性能を有するMC.200は迎撃機としてはそこそこ優秀で勝ったり負けたりと戦局の悪化を遅らせます。
 その後、新型機が次々に就役しますが、悪化する戦局を挽回することはできず、戦局レベル2で終戦を迎えました。30mm機関砲を装備して対重爆専用機として活躍した隼や第4世代の主力戦闘機として採用された零戦を開発した風間航空工廠が業界第1位となりました。業界第2位はMC.200だけで全得点を叩き出したM川重工でした。


2000年9月30日(TSS例会)

 最初のプレイは珍しく勝ちが先行して戦局優位に推移しましたが、最終的には、戦局レベル6で終了しました。詳細はあまり覚えていません(笑)。

 2回目のプレイは、やっぱり詳細はあまり覚えていません(笑)。
 覚えているのが、道理をいくらつくしても、ひたすら私を攻撃してくるのには、辟易してしまいました。内心興ざめしてしまったほどです。
 もう一つは、ほほえましいエピソードです。ある産業スパイが機密を求めてY口飛行機の金庫を狙いました。しかし、そこには、狙いの機密は無く、あったのは、現金のみ。仕方なく件の産業スパイ氏は用意していたボストンバックに詰め込むのでした(笑)。翌日、風間航空工廠の戦闘機部門に「開発にお役立て下さい」という張り紙がされたボストンバックが置いてあったのでした。
#ようするに、産業スパイカードで臨時追加予算カードを引き抜いて来ただけ(笑)。
 プレイ結果は風間航空工廠は業界2位に止まりました。開戦前に主力戦闘機として採用されたI16が実戦ではまるで役に立たず、そのときの悪評がトップとの差となってしまったのでした。


2000年10月8日(TSS合宿)

 競争試作はいとちゃん飛行機の亡国の戦闘機G.50が2世代連続で採用されて、戦局はいきなり敗勢となるのでした。なにしろこのG.50、寿エンジン積んでましたからねぇ(笑)。私は第5世代の主力戦闘機に満を持してユモ004装備のオリジナル・シュワルベを投入するものの、S藤鉄工所のオリジナル・コメートに敗れてしまうのでした。その腹いせにシュワルベに機関砲をやたらに増設し、50mm砲まで搭載した超重武装戦闘機を対重爆攻撃機として売り込み採用を勝ちとるのでした(笑)。その後、風間航空工廠は長距離護衛機の競作にテンペストを投入するも、燃費第一で搭載したエンジンが余りに非力で、護衛すべき爆撃機に速度をあわせてもらわないと追いつけないためか、採用されませんでした(笑)。でもテンペストはエンジンをまともなエンジンに換装して戦闘爆撃機として採用されました。
 勝敗は亡国の戦闘機G.50で得点を稼いだいとちゃん飛行機の勝利でした。


2001年1月14日(TSS例会)

 競争試作は7人プレイでした。
 開戦から敗北続きの軍は次々に主力戦闘機を求めます。そして、第3世代の主力戦闘機の最終候補として風間航空工廠の隼とO鋸飛行機の九六艦戦が選考されます。速度は勿論、運動性能もバブルキャノピーと自動空戦フラップを装備した隼が優れ、火力も防御も比較にならないほど隼が優秀でした。当然採用間違いなしと工廠の方では量産準備を整えていたのですが、、、。なんと最終選考の空中戦で惨敗を喫してしまったのでした(笑)。
 こうして採用された九六艦戦ですが、固定脚の鈍足機がライトニングやコルセアに対抗できるはずもなく、戦局は悪化の一途を辿ります。
 後継機の開発は難航し、結局終戦まで(短い間ではありましたが(笑))九六艦戦が主力戦闘機の座にとどまりました。ゼロの悲劇ならぬ九六の喜劇と、実際の太平洋戦争よりも遙かに悲惨な結末となったのでした。
 当然一番の戦犯はO鋸飛行機ですが、前線からの怨嗟の声にも関わらず、勝利得点ではトップを維持するのでした(笑)。

 あまりの惨状にもう一戦となりました(笑)。
 第2世代の主力戦闘機の座を争ったのは、風間航空工廠のMC.202とO崎飛行機の隼、のると精機の零戦でした。採用されたのは、MC.202でした。
 MC.202は早々に第3世代の高速戦闘機に取って代わられます。それからしばらくしての第4世代の主力戦闘機の要求が格闘性能重視でした。それなら、これが我が社にはあると工場の隅から埃を払って引き出されたのが、MC.202でした。その昔、採用された時のままの機体です(笑)。この古い機体はその抜群の格闘性能によって最終選考に進みます。そこで見た最終選考の相手機は、、、。なんと、昔懐かしい隼と零戦ではありませんか(笑)。第2世代の選考と全く同じ顔ぶれが揃ったのでした。まぁ、そんな戦闘機でしたので、第4世代の主力機はすぐに退役する事になります。
 その後に採用されたのは、M川重工のロケット機でした。空戦性能は申し分ない機体ではありましたが、基地上空でしか戦えないため、当然敵が近づいてくるはずもなく、戦局を悪化させるのでした(笑)。
 馬鹿やっていた割には善戦して、終戦時の戦局レベルは4でした。
 しかし、人数が多いとみんな優秀な機体やエンジンをがめるので、後半になるとなかなか良い戦闘機が作れなくなってしまいますね(笑)。


2001年3月25日(TSS例会)

 競争試作は6人プレイです。
 先見の明ある軍部は開戦前に主力戦闘機に高速戦闘機を求めます。それに答えて風間航空工廠のD520(マーリンエンジン装備)とM川重工の十二試艦戦(BMW801装備)が試作に参加します。共に500キロ台後半の最高速度を誇る高速戦闘機です。最終選考の模擬空戦で勝利した十二試艦戦が零式艦戦として採用されます。
 そして開戦を迎えますが、敵の主力はスピットファイア(MK5(笑))。制空権は取れませんでした(笑)。
 その後は戦闘爆撃機や対重爆用迎撃機などの特殊戦闘機の競作が続き、零戦の後継機の開発は難航します。その間に戦局はじわじわと悪化を続けるのでした。
 戦局の悪化に鑑み軍は新たな主力戦闘機を求めます。ところが、高速戦闘機として採用した零戦の活躍がぱっとしないためか、格闘性能に重点を置いた戦闘機を求めるのでした。この競作に参加したのは、O鋸飛行機の隼(ターボチャージャー装備セイバーエンジン装備)、S山精機のMC.202(アリソンエンジン装備)、そして、バブルキャノピーを装備して格闘戦能力を引き上げた現行採用機の零戦です。セイバーエンジンが珍しくカタログ通りの性能を発揮した隼が素晴らしい動きを見せますが、結局採用を勝ち得たのは、S山精機のMC.202でした。しかし、航続距離600キロ足らずのこの機体は戦場に到達することもできず、戦局は悪化の一途を辿ります(笑)。
 MC.202が使いものにならないため、次の主力戦闘機までの繋ぎとして迎撃用の局地戦闘機が発注されます。
 風間航空工廠の鍾馗(誉エンジン装備)、M川重工の零戦(強制冷却装置付BMW801装備)、それに迎撃戦闘機には、航続距離はいらないとMC.202も参加しての最終選考となります。この戦いで勝利を飾ったのは、零戦でした。
 零戦は早速迎撃任務に飛び立ちますが、相手はサンダーボルト。零戦の貧弱な火力はサンダーボルトに歯が立たず、サンダーボルトのご無体なまでの火力に脆弱な零戦が耐えられるはずもないのでした(笑)。
 軍は主力戦闘機の更新を図ります。しかし、敗色濃い現状でまともな新型機が開発されるはずもなく、最終選考に残ったのは、またしても零戦と隼でした。どちらが採用されても戦局に変わりはなさそうでしたが、零戦が採用されます。そしてやはりヘルキャットに撃ち落とされるでした(笑)。
 こうして本土決戦となります。このころには、軍の方も支離滅裂で、敵本土爆撃用超重爆撃機の護衛となる長距離護衛機を求めるのでした(笑)。これに採用されたのは、S山精機のFw190でしたが、勿論ほとんど生産されることはありませんでした(笑)。
 降伏は必至と思われていた本土決戦でしたが、敵の最新鋭ジェット戦闘機のミーティアは零戦と互角の戦いしかできず、本土決戦は膠着状態となるのでした。
 最早後はありません。最後となる主力戦闘機の発注です。ところが、零戦がミーティアに対して格闘戦を駆使して五分に戦ってしまったのが悪かったのか、軍の要求仕様は格闘戦重視、、、。現行の零戦に格闘戦能力で勝る戦闘機として開発されたのは、固定脚の九六艦戦(ダブルワスプ装備)(爆)。勿論、最終選考で九六艦戦は落とされるのですが、零戦の主力戦闘機は変わらずとなります。予備選考で格闘戦能力が低いと落とされたムスタングとかが採用されていれば、また違った展開になったかもしれないのですが、ザラマンダーに本土上空の制空権を制圧されて祖国は降伏する事となるのでした(笑)。
 開戦から終戦まで第一線で戦い続けた零戦を開発したM川重工が戦犯、、、もとい、勝利者となりました(笑)。

 競争試作は更にもう1回プレイされ、今度は鍾馗をひたすら作ったM川重工がまたしても勝利しました。今回は戦局レベル2で降伏には至らなかったため、戦犯ではありません(笑)。


2001年4月14日(TSS例会)

 今日の競争試作は怪鳥、M川さん、S山さん、私の4人プレイです。
 開戦時の主力戦闘機はM川重工のVG33(ツインワスプ搭載)でした。平凡な性能の戦闘機で敵機のスピットファイアには到底対抗できませんでした。
 しかし、後継機の開発は難航します。そのため、軍は戦闘爆撃機や長距離護衛機などで繋ぎます。その過程で、S山精機のBf109や風間航空工廠のワールウインドが採用されます。
 戦局は一進一退と凡作機の割には、VG33は活躍したと言えるでしょう。
 第2世代の主力戦闘機は風間航空工廠の零戦(ソ連製空冷エンジンAsh-82搭載)とS山精機のMC.202(ライトサイクロンR-2600搭載)の間で争われました。最終選考の模擬空戦の結果は全くの互角でしたが、判定官に手を回していた風間航空工廠が採用されるのでした(笑)。
 しかし、既に時代は高速戦闘機となっていたのでした。格闘性能第一の零戦では敵のライトニングには歯が立たず、戦局は悪化の一途を辿ります。
 これに危機感を抱いた軍はすぐ新たに高速戦闘機を主力戦闘機に求めます。
 そこで採用を争ったのは、S山精機のMC.202とM川重工のMIG3(マーリンIII装備)でした。MC.202は水噴射装置や推力式排気管で必至に速度を稼いでいます(笑)。しかし、最終選考では、ロケットブースターの瞬発力にものを言わせたMIG3が模擬空戦を制して、第3世代の主力戦闘機に採用されます。実戦に投入されたMIG3でしたが、600キロ程度の航続性能しかなく、広大な戦場に対応する事ができず、戦局は更に悪化するのでした(笑)。
 戦局の悪化に伴い、敵の爆撃は激化する一方でした。そのため、対重爆用の重火力戦闘機の競作が行われました。当時最高の火力を有していた戦闘機は風間航空工廠のワールウインドでしたが、生産性が悪く、現状の生産で手一杯で競作に参加できません。 そして、M川重工のVG33(アリソンエンジンに換装)、S山精機のMC.202(30mm機関砲を追加装備)が最終選考に残りますが、順当にMC.202の採用となります。
 そのころ、前線では、主力戦闘機のMC.202がヘルキャット相手に善戦し、戦局の悪化をなんとか喰い止めていました。
 そして、第4世代の主力戦闘機の競作が行われます。そこに風間航空工廠は満を持して最高の戦闘機を送り出します。グリフォンエンジンで2重反転プロペラを駆動するTa152です。最高速度800キロを越える究極のレシプロ戦闘機です。最終選考の相手は誉エンジンに換装して高速化した現行主力戦闘機のMC.202です。しかし、模擬空戦にも最高のエースパイロットを投入した風間航空工廠が危なげなく採用を勝ち取りました。
 最強のレシプロ機の相手は新鋭のジェット戦闘機ザラマンダー。しかし、速度性能でジェット機にも引けを取らないTa152はザラマンダーを圧倒。戦局の建て直しに成功します。
 ところが、軍は何を考えているのか、すぐに新たな主力戦闘機を求めます。それも格闘性能重視の軽戦闘機を。風間航空工廠は仕方がないので、古い、零戦を投入します。それに対するのは、先の主力戦闘機の競作でTa152に敗れた、S山精機のMC.202です。格闘性能は兎も角、流石に速度性能に格段の性能差があり、零戦は為すすべもなく、敗れました。
 しかし、既に敵はジェット機を実用化しているというのに、格闘性能第一で採用された戦闘機がかなうはずも無く、出来損ないのジェット戦闘機と言われる、ミーティアにも蹴散らされ、戦局は再び、悪化していきます。
 終戦も間近と思われ、戦局も悪化している現状でようやく、軍は迎撃戦闘機の必要を認識します。これの最終選考に残ったのは、S山精機のMC.202とM川重工のロケットシュワルベです。実に1000キロに達する最高速度を誇るシュワルベにエースパイロットを乗せて必勝を期したM川重工でしたが、模擬空戦の結果は激戦の末に僅差でMC.202が勝利を収めるのでした。
 そして、終戦を迎え、戦局レベルは2。勝者はMC.202で大量採用を勝ち得たS山精機となりました。
 怪鳥発動機株式会社はついに一度も競争試作に参加することもなく、飛行機メーカーとはなれませんでした(笑)。


2001年6月3日(TSS例会)

 D520やYAK-1とかが主力戦闘機として採用されて、苦しい戦局となっていたようです。
 o-roraさん(だったか、そのお連れさんだったか)がプレイで全然競作に参加できず、もう一戦プレイされていました。

 第2戦は7人の大人数でのプレイでした。開戦時の主力戦闘機はBMW801を積んだH飛行機の零戦でした。これは優秀な戦闘機で、緒戦の快進撃の原動力となります。一時期戦局レベル8まで進みました。
 長距離護衛機の競作では、YEN飛行機が燃費第一のエンジンを積み、「航続力10!わーい、最終選考だぁ」と喜びます。
「旦那、旦那、その飛行機、離陸できませんぜ」と指摘する私(笑)。
あまりの非力なエンジンに離陸速度を出すことができないのでした(笑)。
 その夜。明日は最終選考という時、TraJan飛行機の格納庫に忍び込むYENさん。
 翌日の最終選考でエンジンを細工されたTraJan飛行機の競作参加機は滑走路いっぱい使って離陸することができず、O崎飛行機が採用されるのでした(笑)。
 こんな、企業間の足のひっぱりあいを続けていたためか、緒戦の快進撃にも関わらず、終わってみれば、戦局レベルは2となるのでした(笑)。
 最後の主力戦闘機がロケット機というのですから、当たり前でしたね(爆)。


2001年6月17日(TSS例会)

 競争試作は2セットプレイです。
 この日は非常に盛況だったため、大人数でなければプレイできないこのプレイが可能でした。
 参加者は10人。5人ずつ2カ国に分かれて、それぞれ競争試作をプレイし、それぞれの主力戦闘機が祖国の命運を賭けて戦うというものです。
 我が国の開戦時の主力戦闘機は、M川重工の96艦戦と風間航空工廠の零戦の間で争われました。
 運動性以外のあらゆる性能で圧倒する零戦は最終選考の模擬空戦でも96艦戦を圧倒し、最後には、その高速性能を見せつけるように追いすがる96艦戦を悠々と振り切って帰還するのでした。ところが何度も射撃機会を得ながらも撃墜にまでは至らなかったため、運動性能を求める軍は96艦戦を採用するのでした。
#勿論その裏には、M川重工の暗躍があったのですが、、、。
 この96艦戦、無理に大きなエンジン(火星(笑))を載せたために航続性能は30分程度ととても航空優勢を得られる機体ではなく、前線の空は敵国の零戦の姿しかありませんでした。
 押され気味の戦局に軍は新たな主力戦闘機を求めます。しかし、やはり運動性重視の軽戦闘機指向は抜けず、そのため最終選考に残ったのは、またも96艦戦と零戦でした。
 今回風間航空工廠は前回の失敗に鑑み、零戦に自動空戦フラップを装備して運動性能でも96艦戦に匹敵するものとして必勝を期します。しかし、、、。
 前回の慢心をきつく戒められたテストパイロットは今度は逆に萎縮してしまい、模擬空戦でまさかの敗北を喫してしまうのでした。私はその瞬間開いた口がふさがりませんでしたよ(涙)。
 しかし、戦局の方は、戦闘機の開発がうまくいかないのは、お互い様のようで、敵の新型機のMC202は航続力に難があり、前線には、どちらの戦闘機の姿もなく、膠着状態に陥っていたのでした。
 敵の戦闘機が前線に現れなくなったためか、軍は対地攻撃用の戦闘爆撃機の開発を指示します。
 それに採用されたのは、いとちゃん航空機のFw190でした。
 ところでその間にも敵国は新型主力戦闘機の開発を続けており、誉装備の雷電を投入してくるのでした。我が国には、それを迎撃する戦闘機はなく、戦局は悪化していきます。
 ここに至ってついに軍も96艦戦に見切りをつけます。新主力戦闘機として採用されたのは、T井飛行機の疾風です。マーリンエンジンで2重反転プロペラを駆動する高性能機です。航続距離も十分で前線の将兵はここに初めて味方の戦闘機の戦う姿を見ることができたのでした(笑)。敵も初めての敵戦闘機にショックを受け、制空権を失うのでした。戦局の建て直しに成功します。
 迎撃機として風間航空工廠の鍾馗が採用されますが、疾風の性能が十分のため、戦う機会はなさそうです。
 制空権を失った敵は雷電を強化して制空権の奪還に成功します。戦局はふたたび悪化していきます。
 軍は超重爆撃機による敵国中枢の戦略爆撃計画を始めます。そのための長距離護衛機の開発が命じられます。これに採用されたのは、いとちゃん航空機のムスタングでしたが、こんな計画が実現するはずもなく、忘れられてしまうのでした。
 疾風と雷電には大きな性能の差はなく、今回は我が国が制空権を得て戦局をもどします。
 ようやくこれからの戦闘機は高速重戦闘機であることに気づいた軍は新型機を主力戦闘機に求めます。
 最終選考には、M川重工の雷電、風間航空工廠の鍾馗、いとちゃん航空機のFw190が残ります。特筆すべきは、雷電で補助ロケットにより、一時的に時速800キロを超えることが可能でした。模擬空戦では、鍾馗は雷電に追いすがるも振り切られて早々に脱落。ここで漁夫の利を得たFw190が雷電を撃墜して採用を決めました。
 しかし、期待の新型重戦闘機も敵機の雷電を破ることができず、戦局の悪化を止めることができません。
 早々にFw190に見切りを付けた軍はO崎飛行機の開発したジェットTa152を主力戦闘機に採用します。流石にジェットの威力は素晴らしく、戦局を好転させるのでした。
 しかし、戦局が悪いことには、変わりはなく、敵重爆による被害は甚大です。そこで対重爆用の大火力戦闘機が求められます。風間航空工廠は50mm砲装備のシュワルベ(ただし、ダブルワスプでプロペラを回して飛行(笑))で採用を狙いますが、ロケットエンジンに補助ロケットを装備し、ロケット弾を武器とするM川重工の雷電に採用をさらわれるのでした。
 ジェットTa152は何故か、敵のワールウインドに遅れを取って制空権を奪われ、戦局レベル2で終戦を迎えるのでした。
 ゲームの勝者は敵国で主力戦闘機の座を雷電で独占していたY口飛行機となりました。


2001年7月15日(TSS例会)

 競争試作は6人プレイでした。
 第1世代の主力戦闘機として採用されたのは、O崎飛行機のD520でした。o-rora飛行機の零戦を押さえての採用です。
#そういえば、その時の選考に、風間航空工廠がLa5のモックアップで参加しようとして周囲の失笑を買っていました(笑)。
 しかし、D520の航続距離では戦場に対応できず、前線で戦うことはありませんでした(笑)。
 開戦後新型主力戦闘機として採用されたのが、錦飛行機の飛燕でした。
 ターボ装備のBMW801を搭載し、最高速度は700キロ台後半という高性能機です。
 非常に優秀な戦闘機で第3世代の主力戦闘機としても採用されます。
 でもやっぱり航続距離は短く、前線に出てくることはありません(笑)。
 「戦えば必ず勝つのに!」と錦さんは悔しがり、「飛行機は気合いで飛ばすんだ!」とか叫んでました(笑)。
 飛燕の生産はエンジンが先行し、機体の生産が追いつかず、飛燕の工場では、飛燕の首だけが並ぶ事となっていました(笑)。
 飛燕の後継として第4世代の主力戦闘機となったのは、M川重工のコメートでした。新世代のロケット戦闘機で最高速度は飛燕を上回る時速900キロ。
 しかし、やはりと言うべきか、航続距離は短く敵が来てくれないことには、戦えもしない戦闘機でした。それでも戦局が悪化していたこともあって、そこそこ活躍していました。
 そして、最後の第5世代主力戦闘機の選考で、風間航空工廠は秘蔵っ子のシュワルベを投入します。しかし、ジェットエンジンの開発が間に合わず、レシプロエンジンを装備しての参加です。レシプロエンジンとは言え、二重反転プロペラ装備で最高時速800キロ以上を狙える戦闘機でした。搭載しているセイバーエンジンが所期の性能を発揮すれば、、、(笑)。
 勿論セイバーエンジンはろくに動かず予選落ちとなるのでした(笑)。
 それで燃え尽きた私はその後の事は覚えていません(爆)。


2001年8月26日(TSS例会)

 競争試作は6人プレイです。
 初代の主力戦闘機はO鋸飛行機のエアラコブラでした。ターボチャージャー装備で最高速度700キロを越える高性能機で、緒戦を優位に戦局を進めます。
 しかし、軍は「真っ直ぐ飛ぶだけの飛行機はいらない」と格闘性能重視の主力戦闘機を求めます。その時の競作ではT井飛行機の零戦と風間航空工廠の隼とで争われますが、模擬空戦にエースパイロットを投入した風間航空工廠の隼が採用されました。
 隼は敵機のワイルドキャットと五分に戦いますが、軍はそれに満足しなかったようで、新たな主力戦闘機が求められます。高速戦闘機、軽戦闘機と求めてきたためか、軍はふたたび、高速戦闘機を求めます。これに採用されたのは、YEN AIRPLANEのFW190でした。最高速度は700キロ台後半を誇る高性能機でした。しかし、カタログデータの高性能にも関わらず、Fw190は敵に落とされまくっていました(笑)。
 新たな主力戦闘機の開発は難航し、その間に迎撃戦闘機(O崎飛行機の雷電)、長距離護衛機(O鋸飛行機のムスタング)、戦闘爆撃機(風間航空工廠のテンペスト)が採用されます。その間戦局は悪化を続けるのでした(笑)。
 Fw190に見切りを付けた軍は同時に高速戦闘機にも見切りを付けてしまったようで、運動性能の高い戦闘機を要求します。そこに満を持してT井飛行機は時速800キロを越え、最高の運動性能を誇る零戦(ロケットエンジン装備(笑))を投入します。しかし、全身を可燃物で固めたようなその飛行機は曳航弾がかすめただけで火を噴くような代物で最終選考の模擬空戦であっさり落とされました(笑)。
 対重爆戦闘機には風間航空工廠のテンペストが採用されます。防弾板をふんだんに使った頑丈さだけが取り柄の機体に30mm機関砲を追加装備したもので火力と防御力は最高の戦闘機でした。でも最高速度は500キロ程度。重爆には追いつけないので、すれ違いざまの一撃しかできない戦闘機でした(笑)。
 最後の最後に起死回生を目指して主力戦闘機が更新されます。最終選考に残ったのは、YEN AIRPLANEのFw190とM川重工のジェットTa152でした。姉妹機同士の対決はエースパイロットを最終選考の空中戦に投入したYEN AIRPLANEのFw190の勝利に終わります。しかし、Fw190はエースパイロットの手に掛かれば素晴らしい性能を発揮するのですが、一般のパイロットには乗りこなせないのようで、ベアキャットに蹴散らされて終戦を迎えました。
 最終的には、風間航空工廠の勝利でした。


2001年11月4日(TSS例会)

 競争試作は6人プレイでした。
 序盤、M川重工が零戦で採用を独占していましたが、後半はムスタングを開発したY口飛行機が採用ラッシュとなります。その狭間では、H飛行機が第3世代の主力戦闘機として長く止まっていましたが、結局採用はそれだけだったようです。私は最高時速700キロで運動性能も抜群のMC.202や最高時速800キロ近くまでいける雷電など優秀な戦闘機を開発するものの採用には恵まれません。最後の最後に雷電にロケット弾や大量の機銃を積んで対重爆攻撃機として採用を勝ち取ったのみでした。いとちゃん飛行機やO鋸飛行機に至ってはろくな戦闘機を開発することができず、採用0に終わるのでした。
 最終的に戦局レベル3で終了し、採用機数ではトップだったY口飛行機を押さえて、M川重工が零戦の大量採用で勝利しました。


2001年11月17日(TSS例会)

 競争試作は5人プレイでした。
 開戦時の主力戦闘機は風間航空工廠のP36でした。この機体は低性能ながら、よく戦い、戦局は一進一退、なんとか戦線を支えます。
 P36の後継は同じ風間航空工廠のラボアチキLa5FNでしたが、その高性能を発揮することなく制空権を奪われ、あっさり退役となってしまいます。
 風間航空工廠はLa5FNの汚名を返上すべく、自信の高速戦闘機を投入し、採用されます。スーパーチャージャー装備のダブルワスプを搭載した五式戦です。
 しかし、期待の新鋭機も空飛ぶ重戦車サンダーボルトに蹴散らされてしまうのでした。
 高速戦闘機ばかりを要求していた軍でしたが、戦局の悪化に全く異なる戦闘機を発注するのでした。すなわち、格闘性能重視の軽戦闘機です。
 この時代に思い切り逆行した要求に応えたのが、H飛行機のロケット隼でした。この高度な運動性能と素晴らしい高速性能を併せ持つ戦闘機は軍の期待を担って採用されます。航続時間15分でしたが、、、(笑)。ところが、戦局が悪化していたこともあり、迎撃任務ばかりでこの欠点も問題にはならなかったのでした。 不利な戦局を覆す決戦機としてo-rora飛行機でシュワルベが開発されます。しかし、イギリス製の非力なジェットエンジンでは所期の性能を発揮することが出来ず、最終選考では危うく風間航空工廠の五式戦に採用をさらわれるところを判定官の買収で切り抜けるのでした。しかしこの体たらくのため、戦局の逆転は望めず、悪化を食い止めるのが精一杯でした。
 終戦を迎えてみると、戦局レベルは3でした。
 最終的な勝敗は、戦争前半で主力戦闘機を独占した風間航空工廠が15VPをあげたものの、後半活躍したo-rora飛行機に19VPで逆転されてしまいました。
 業界第3位は10VPのS.G鉄工所。続いて7VPのH飛行機でした。航空機メーカーではありませんでしたが、Ahsgrimm発動機の名もあげておきましょう(笑)。


2002年1月27日(TSS例会)

 6人プレイです。
 今回の軍は終始一貫して高速重戦闘機を求める慧眼を示します。
 それに応えたのがM川重工のスーパーチャージャー装備の零戦とO鋸飛行機のエアラコブラでした。どちらも時速600キロを記録する高速戦闘機です。
模擬空戦による最終選考の結果、僅差で零戦が第1世代の主力戦闘機として採用されるのでした。緒戦で零戦は敵機のスピットファイアに引けを取らず、更にワイルドキャットを下し戦局を優位に進めます。
 これに安心したのか軍は新型主力戦闘機の開発を怠ってしまうのでした。しかし、いくら零戦が強いと言ってもコルセアには敵わない。制空権を奪われてしまいます。
 こうして第2世代の主力戦闘機が発注されます。それに応募したのは、またしても零戦とエアラコブラでした。その他のメーカーは何をしていたのでしょうか?
 TraJan飛行機は未来を見据えた戦闘機の開発に余念がなく(笑)、風間航空工廠は陰謀ばかり巡らして肝心の開発がおろそかになっていました(笑)。T井飛行機やYEN Airplanesは真面目に競争試作に参加していたようですが、敢え無く予選落ちでした。
 第2世代主力戦闘機はエアラコブラに決まりました。旧態依然としていた零戦はエンジンをより強力なマーリンIIIに換装していたエアラコブラの敵ではありませんでした。しかし主力戦闘機の開発に遅れを取ったつけは重く、ライトニングに敗れてしまいます。
 すぐに次の主力戦闘機が求められます。
 ここで動いたのが風間航空工廠でした。まず現行採用機のエアラコブラの搭載するマーリンIIIエンジンのラインでサボタージュを工作します。続いて、T井飛行機の開発した最高速度時速750キロという驚異的な性能を誇る飛燕に政治的圧力をかけて参加を断念させるのでした(笑)。そうしておいて、満を持してダブルワスプエンジンを搭載したMC.202、最高速度は700キロという高性能機で競争試作に参加、最終選考に駒を進めます。最終選考に残ったのは、他には、零戦とエアラコブラ(ただしマーリンIIIが使用できなかったために次善のエンジンでの参加)で、新型のMC.202の敵ではありませんでしたが、念には念を入れて、判定官を買収し、危なげなく採用を勝ち取るのでした(笑)。
 しかし、このMC.202は航続距離は600キロそこそこという機体で広大な戦場に全く対応できず、戦局はますます悪化するのでした(笑)。
 次の主力戦闘機に採用されたのはM川重工のTa152でした。ロケットエンジンで時速1000キロを記録する化け物です。当然航続距離は極小。滞空時間は15分足らず。しかし、戦局の悪化によりその欠点もあまり問題にならなかったという(笑)。
 最終的に戦局レベル3でプレイは終了しました。トップは零戦とTa152で稼いだM川重工、2位はエアラコブラのO鋸飛行機、3位が陰謀多き風間航空工廠でした(笑)。TraJan飛行機はジェット紫電改とかゲテモノ飛行機を作ったりしていましたが、ゲテモノなだけで性能が伴わず、対重爆用戦闘機の採用を得ていただけでした。T井飛行機は悲運のメーカーで風間航空工廠の政治的圧力で競争試作への参加を拒否された飛燕は結局、廃棄処分とされ、その後もO鋸飛行機の陰謀に陥れられたりして1機も採用されることはありませんでした。YEN Airplanesも採用戦闘機はありませんでした。他社の陰謀に陥れられていたわけでもないのに、そういえば、最終選考で戦っている姿も見なかったような(笑)。
 

2002年2月24日(TSS例会)

 最初のプレイは、ていとくさん、むしゅふしゅさん、U田さん、AMIさん、のるとさん、私の6人プレイでした。
 開戦時の主力戦闘機は零戦でしたが、非力な寿エンジン装備のためかワイルドキャットに対抗できず、緒戦で躓いてしまいます。
 軍は直ちに新型主力戦闘機の開発を指示、AMI PLANESのムスタングが採用されます。マーリンエンジン装備のムスタングは瞬く間に制空権を奪い戦局を優位にするのでした。ところがそのために軍は新型主力戦闘機の開発を怠ってしまいます。
 ムスタングの活躍もコルセアを相手に迎えると共に終焉し、戦局は悪化の一途を辿ります。新型主力戦闘機を開発するものの軍の要求が格闘性能重視のため、戦局の悪化は防げません。
 結局終わってみれば、戦局レベル2となっているのでした。勝利者はムスタングのバリエーションで大量採用を勝ち取ったAMIさんでした。
 私はエアラコブラが非常に強力な戦闘機に育ってしまったのですが、予選で落とされて失ってしまうのが怖くて、競作に参加できず、良いところ無く終わってしまいました。後半の主力戦闘機の要求仕様がスピードだったら良かったのに(笑)。


2002年4月27日(TSS例会)

 競争試作を6人でプレイしました。
 開戦時の主力戦闘機は零戦(M川重工)と隼(O崎飛行機)のライバル対決でしたが、エンジンの差が明暗を分けました。隼は独製のBWM801を搭載していたのに対し零戦はイタリアのフィアットのエンジンだったのでした。倍の馬力差はいかんともしがたく隼が採用されるのでした。
 しかし実戦でブチ当たったのはスピットファイアMkV。流石に敵わず戦局は悪化していきます。
 S.G.鉄工所がBf109を軍に迎撃機として売り込みに成功。ライバル機を政治的に押さえての採用で、流石メッサーシュミットと言われていました(笑)。
 このBf109は坂道を転がり落ちるように悪化する戦局の中、防御は迎撃機に任せ、主力戦闘機は攻勢のために温存するという軍の方針のために馬車馬の如くこき使われ、事実上の主力戦闘機として使用されて敗戦原因となるのでした(笑)。
 隼に代わる主力戦闘機として風間航空工廠は満を持してターボ付き誉搭載の鍾馗を投入します。最高時速800キロというレシプロ機の限界性能の高性能戦闘機でした。しかし最終選考が4機で争われる乱戦となりあっけなく撃墜されてしまうのでした。これが風間航空工廠が最終選考の模擬戦を戦った最初にして最後となるのでした。この後風間航空工廠はマーリン装備のTa152の開発を開始し、第4世代の主力戦闘機に照準を合わせていたのですが、その前に祖国は敗戦を迎えてしまうのでした(笑)。
 勝者は第1世代と第3世代の主力戦闘機を勝ち取ったO崎飛行機でした。本来の得点は対重爆攻撃機と迎撃機を採用されたS.G.鉄工所の方が多かったのですが、Bf109の悪評が脚を引っ張ったのでした(笑)。


2002年5月4日(TSS例会)

 競争試作は合宿ということで多数のプレイヤーが確保できたので2セットプレイです。
 我が国の開戦時の主力戦闘機はN尾飛行機のMC.200。エンジンはライトサイクロンR1820で最高速度は550キロ、運動性も抜群の良い飛行機ではありましたが、航続距離は200キロそこそこという軍用機としての実用性に欠ける機体でした。しかし、敵国の主力のブレダも航続距離400キロ程度と50歩100歩で、開戦後しばらくは前線の将兵は両軍の戦闘機を見ることはありませんでした(笑)。
 我が国の軍部は主力戦闘機の航続距離を補うために長距離護衛機の開発を命じます。一方敵国は新型主力戦闘機を開発していたのでした。前線に姿を現したこの新型戦闘機はM川重工の零戦でした。エンジンはロシア製の液冷エンジンで、コードネームはMIG-0(笑)。我が国のMC.200は勿論前線に姿を現すはずもなく制空権を失い、戦局は悪化していくのでした。
 MC.200をドイツ製のエンジン(ただし空冷のBMW801)に載せ換え全く別物としたMC.202がFabius Planesで開発されました。難題だった航続距離も3倍に伸び、遂に前線に味方の戦闘機が姿を現しました。制空権をめぐり熾烈な空中戦が戦われましたが、新型のMC.202が勝利を飾り、悪化していた戦局も優位に転換します。 戦争を優勢に進めていたためかメーカー同士の暗躍が激しさを増し、とんでもない機体が主力戦闘機として採用されてしまいます。N尾飛行機のMC.200です。欠点だった航続距離を稼ぐために燃費第一のフィアットエンジンを搭載し、当社比4倍の航続距離を叩き出したのでした。ただしスピードは500キロを越えるか越えないかでしたが、、、。それに比べて敵国は誉装備のFw190が採用されていました。この機体は補助ロケットに点火すれば時速800キロを叩き出し、MC.200では全く対抗不能でした。
 それからは戦局は坂道を転がり落ちるように悪化していきます。
 ここに至って我が国も主力戦闘機の開発に本腰を入れます。その甲斐あってか非常に優秀な戦闘機を得るのでした。グリフォン装備のTa152です。あのMC.200を作り続けていたN尾飛行機とは思えないほどの高性能機です。敵のFw190にも十分対抗可能な戦闘機でしたが、不運にも敗北を喫してしまいます。
 これが良くなかったのか、Ta152はあっさりと見捨てられ、新たに採用されたのは、O崎飛行機のロケットシュワルベでした。最高速度は1000キロに達する化け物で性能は最高でした。ばかでかい補助タンクを背負い、ロケット機としては破格の400キロもの航続距離を得ていましたが、拡大する戦場には対応できませんでした。
 戦局も行き着くところまで来ていました。本土防空戦に局地戦闘機として誉装備の空冷エアラコブラを投入しますが、敵国の最新鋭戦闘機、M川重工の雷電の前に敗れ去り、本土決戦を目前にしてゲーム終了を迎えるのでした。


2002年5月26日(TSS例会)

 開戦時の主力戦闘機はY口飛行機の機体でしたが、航続距離は200キロに満たないほどで全く役に立たず、すぐにお払い箱になります。
 その後に採用された主力戦闘機はO鋸飛行機のMC.200でしたが、航続距離はやっぱり200キロに満たず、やっぱりすぐにお払い箱になります(笑)。
 第3世代の主力戦闘機は軽戦闘機は駄目だと高速戦闘機が求められ、風間航空工廠のワールウインドが採用されます。この機体はターボ付き誉装備の強力な機体で戦局を逆転させ、戦局レベル9まで持ち込む原動力となります。
 一時は敵を無条件降伏にまで持ち込めるかとも思われましたが、流石にそこまでは行けませんでしたが、それでも終戦時の戦局レベルは7と、珍しく攻撃用戦闘機のVPの高いプレイでした。
 個人的にはロケットワールウインドが迎撃機に採用されなかったのが残念でしたね(笑)。


2002年8月25日(TSS例会)

 競争試作はプレイヤー10人を5人づつ2国に別れての2セットプレイです。
 国分はくじ引きで決めたのですが、国分が決まった段階で我が国には濃いプレイヤーばかりで、悪い予感がしたのですが、その予感は適中しました。
 最初のターンに風間航空工廠は1000馬力級の水冷エンジンを搭載した高速零戦で必勝と思われたのですが、S.G.鉄工所の政治圧力で競争試作に参加することもできませんでした。その時の採用機はS.G.鉄工所のMC.200でした。この機体は空戦性能は非常に優秀で審査員の前では無敵を誇ったのですが、後続距離は200キロにも足らず、戦場上空を飛ぶことは遂にありませんでした。悪いことにその後主力戦闘機の開発がうまくいかず、戦闘爆撃機とか長距離護衛機とかの補助機の開発が延々と続き、敵との技術格差は開く一方でした。そしてゲーム中盤には祖国は無条件降伏してしまうのでした。
 この展開はあんまりだということで再戦となります。勿論、国分からやり直してのプレイです(笑)。

 今回我が国はH飛行機の鐘馗が優秀で戦局を優位にすすめます。戦局レベルは7を越え、これは楽勝かと思われました。しかし、格闘性能重視の仕様により採用された第3世代の主力機、疾風に対して敵の戦闘機は圧倒的な速度優位を得てしまい、我が国は制空権を失ってしまいます。結局じり貧のまま戦局不利でゲームは終了してしまいました。
 競争試作はやはり2セットゲームの方が盛り上がりますね。面白いです。


2003年2月9日(TSS例会)

 H飛行機の隼が長く主力戦闘機の座にあって戦局をどんどん悪化させていきます。それに代わったO鋸飛行機のMC.202もばたばたと落とされていたため、第5世代に行き着くことなく敗戦を迎えてしまいました。お陰で私のジェットTa.152は遂に日の目を見ずに終わってしまったのでした。



 
2003年5月3日(TSS例会)
 第1世代、第2世代と高速重戦闘機を主力とした我が国は戦局を優位に進めていました。しかし、そこで技術進歩が停滞し、戦局が悪化していきます。そこで軍部は高速重戦闘機に見切りをつけ、運動性の良い軽戦闘機を求めるのでした。それに乗じて九六艦戦を主力戦闘機に採用させようとする陰謀が企てられましたが、残念ながら、、、もとい、幸いにも最終選考の模擬空戦で撃墜と判定され、採用されることはありませんでした。この時に採用された紫電改は敵のジェット戦闘機(ミーティア)をあっさり撃墜して、軍部にこれからの戦闘機は高機動軽戦闘機であると確信させるのでした。
 その後、第4世代、第5世代とも軽戦闘機が求められました。そして、戦争は戦局レベル7と我が方優勢に終結し、軍部の戦闘機発注方針の正しさを証明したのでした(あれ?)。


2005年1月16日(TSS例会)

 Y口さん、O鋸さん、Hさん、S藤さん、私の5人プレイです。

 開戦時の主力戦闘機はS藤鉄工所のブレダ65でした。私もブレダ65が採用されたのを見たのは初めてじゃないかな。
 なんでこんな飛行機が採用されたかと言えば、本命だったY口飛行機の隼がO鋸工業のG50と採用を決める模擬空戦で相討ちになってしまったためです。
 ブレダ65は推力排気管やら二重反転プロペラなどで最高速度は600キロに迫る速度を叩き出していました。しかしその代わりに航続距離は200キロそこそこ。実用機とは言い難いものでした。ところが、前線飛行場にでも配置したのか、敵のワイルドキャットを駆逐して制空権の確保に成功するのでした。
 風間工廠はD520で参加しましたが、敢えなく予選落ちでした。

 運動性を重視して採用したブレダ65が高速性能を駆使して戦果を挙げたのに惹かれたのか、軍は高速戦闘機を求めて迎撃戦闘機の発注を行います。
 しかし、ブレダ65の高速性能を越える戦闘機を各社とも開発することが出来ず、結局ブレダ65に強制冷却装置を搭載したブレダ迎撃機タイプが採用されてしまいます。
 しかし、ブレダ65ごときがそうそう通用するはずもなく、敵がスピットファイアを投入すると制空権を奪われてしまうのでした。
 風間工廠は今回は参加を見送り、零戦を自社開発します。ドイツ製の空冷エンジンを搭載したなかなか優秀な戦闘機でした。

 ここでようやく軍もブレダ65に見切りを付けます。
 ブレダ65が高速性能でそこそこの活躍を残したこともあり、次期主力戦闘機は高速戦闘機を求められます。
 この競争試作の最終選考に残ったのは、O鋸工業のエアラコブラとS藤鉄工所の鍾馗でした。
 エアラコブラはロシア製ミクリンエンジンをターボチャージャーやら水噴射装置やらでカリカリにチューンした機体で最高速度は800キロに迫る究極のレシプロ戦闘機でした。
 対する鍾馗は誉エンジンを搭載し、こちらも最高速度は700キロを越えます。
 選考結果は模擬空戦で勝利を得たS藤鉄工所の鍾馗の採用となりました。
 期待の新鋭戦闘機鍾馗のデビューはしかし、相手が悪かった。コルセアの前に敗れ去るのでした。
 風間工廠はよせばよいのに、零戦で参加してしまいます。最高速度が600キロにも届かない零戦はまるで問題にされず予選落ち。スクラップにされてしまうのでした。

 レシプロ戦闘機としては限界に近い高速性能を誇った鍾馗を持ってしても制空権を得ることが出来なかったために、軍は次期主力戦闘機には、運動性を重視した要求仕様を出します。
 参加したのはY口飛行機の隼、O鋸工業の雷電、S藤鉄工所のYak3です。
 隼は開戦前の旧式機でしたが、抜群の運動性能を備える軽戦闘機です。エンジンは水冷のアリソンエンジンに換装しての参加です。
 雷電はロシア製の水冷エンジンを搭載しています。平凡ながらバランスの良い機体です。
 Yak3は誉エンジン搭載でやはりバランスの良い設計の機体です。
 模擬空戦は三つ巴の乱戦となりました。運動性能に優れる隼は巴戦に入られるとやっかいとばかりにYak3の高空からの一撃離脱で真っ先に血祭りに上げられます。その後の雷電とYak3の戦いは決定打を欠きますが、前線から引き抜いたエースパイロットが搭乗していたYak3が優勢でした。ところが、採用されたのは雷電でした。判定官は買収されていたのです。
 戦場には敵のライトニングが飛び回っていましたが、ライトニングの苦手とする低空での格闘戦に引きずり込んで雷電が勝利しました。
 風間工廠は究極の運動性能を誇る96艦戦にバブルキャノピーを装備した機体を設計していたのですが、搭載可能な小型エンジンの開発に失敗してしまい、競作に参加できませんでした。

 軍における格闘戦戦闘機熱は急速に冷め、無難な高速戦闘機が改めて求められました。
 となれば、以前採用を逃したとはいえ、究極のレシプロ高速戦闘機、O鋸工業のエアラコブラが本命と思われていました。
 これに挑戦したのが、S藤鉄工所でした。プロペラ機ではエアラコブラに勝てない。ならばとS藤鉄工所はYak3をロケット機に改造したのでした。時速800キロの大台を越える高速戦闘機です。
 ところが、O鋸工業も負けてはいません。エアラコブラに補助ロケットを搭載し、一時的にですが、ロケット戦闘機と互角の速度性能を叩き出したのです。
 軍はロケット機という未知の将来性に賭けたのか、Yak3を採用します。
 しかし、際限のない最高速度競争の結果は航続力の短縮でした。エアラコブラ400キロ、ロケットYak3に至っては飛行時間15分です。実用性皆無の戦闘機でしたが、このとき丁度敵軍が積極攻勢に転じていたため迎撃戦闘が多く、あまり問題になりませんでした。
 Yak3は決して運動性能は悪くはないのですが、あまりの高速性能のためにどうしても直線的な機動となります。それを見越して敵機のサンダーボルトは正面からチキンレースに持ち込んだのです。火力と防御で圧倒的なアドバンテージを持つサンダーボルトは8丁のブローニングを撃ちまくります。その弾幕に包まれては可燃物の塊であるロケット機はひとたまりもありません。火達磨となったYak3はロケット燃料に引火して大爆発を起こします。ところがそれにより一気に加速されたYak3はそのまま直進し、進路上にいたサンダーボルトに激突。引き分けに終わるのでした。
 風間工廠はこの競作には満を持して、グリフォンエンジン装備のムスタングH型を投入して必勝を期したのですが、、、。

 敵が4発重爆を開発しているとの情報に、軍は大火力の迎撃機を求めます。
 最終選考に残ったのは、O鋸工業のエアラコブラとH航空のテンペストでした。
 エアラコブラは究極のレシプロ戦闘機ともてはやされながら未だに採用を勝ち取っていません。今回は空対空ロケット弾を搭載しての競作参加です。
 対抗するテンペストは30mm砲を増設して火力を増強していましたが、装備するロシア製の空冷エンジンが非力で最高速度は500キロそこそこという機体でした。当然採用されたのはエアラコブラでした。
 風間工廠はこの日のために暖めて置いた機載50mm砲を装備したLa5FNで参加したのですが、僅かに火力が及ばず予選落ちでした。
 戦局は敵がロケットYak3との交戦を避ける方針を採ったため基地周辺の制空権は万全でしたが、最前線は敵機の跳梁するままでした。

 戦局挽回のため軍は起死回生の作戦を準備し始めます。長距離爆撃機による戦略爆撃です。しかし、そのためには航続距離の長い護衛戦闘機が不可欠です。しかし主力戦闘機にロケット戦闘機を採用しているような軍に、そんな戦闘機はありません。というわけで発注がなされたのでした。
 それに応えて最終選考に残ったのはH航空の零戦とS藤鉄工所のYak3です。共に燃費第一の非力なエンジンを装備して無理矢理航続距離を伸ばした機体です。零戦は更に胴体に大容量の燃料タンクを増設して圧倒的な航続性能を実現しました。
 ところが、それが裏目に出ます。無理なタンク増設で増加した重量に燃費第一の非力なエンジンは離床速度ギリギリしか出せなくなっていたのです。そこに目を付けたS藤鉄工所は模擬空戦の前日にH航空の試作機のエンジンに細工を施し若干の出力低下を起こさせたのでした。このため零戦は離陸することが出来ずに不採用とされてしまったのです。
 風間工廠はバッファローにイタリア製の1000馬力クラスのエンジンを乗せた戦闘機で参加してあっさり書類選考で落とされました。未だ1機の採用機も得ていない風間工廠はまともな戦闘機を設計することが出来なくなりつつあるようです。
 制空権奪還の目処が立たず、戦局は悪化する一方です。

 ロケット機の限界を思い知らされた軍は新たな主力戦闘機の競争試作を行います。
 ここで風間工廠は満を持してシュワルベを送り出します。世界初の実用ジェット戦闘機、、、になるはずだったのですが、誉エンジン装備のレシプロ機です。競作のライバルはO鋸工業の雷電、マーリンエンジン装備のすっきりしたシルエットの機体です。もう1機、S藤鉄工所の鍾馗。水冷のユモ213を搭載しています。いずれも究極のレシプロ戦闘機ばかりです。
 採用を勝ち取ったのはシュワルベでした。
 シュワルベは敵の新鋭ジェット戦闘機ザラマンダーを撃墜して戦局の悪化をくい止めます。

 今回の競争試作は陸軍からの要求です。地上支援用の戦闘機の開発です。
 地上支援機は低空を低速で飛行する必要があるため対空砲火による被害が予想されます。そのため求められたのは少々の被弾にはびくともしない頑丈さでした。当時最も防御に秀でた戦闘機はH航空が社内企画機として暖めていたテンペストでした。しかし、その機体には風間工廠の魔の手が伸びていました。H航空の取引銀行に手を回し、融資を引き上げさせたのです。資金難に陥ったH航空は社内企画機のテンペストを維持することが出来ず、廃棄処分を余儀なくされたのでした。
 邪魔な機体を陰謀で片づけた風間工廠はシュワルベに防弾装甲を取り付けたアーマードシュワルベで最終選考に進出しました。
 最終選考進出機は他に2機。Y口飛行機のタイフーン、S藤鉄工所のYak3です。
 いずれも頑丈な機体で模擬空戦で撃墜された機体はありませんでした。戦闘機としての飛行性能ではシュワルベが抜きんでていたため当然採用されると思っていたのですが、陸軍の審査委員長の鶴の一声でYak3の採用に決まりました。S藤鉄工所の陰謀です。
 シュワルベはベアキャットを下して自国上空の制空権を回復します。それにより国境線まで戦線を押し戻したところで休戦を迎えたのでした。

 悪辣なS藤鉄工所の圧勝でした。


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