2006年12月24日(TSS例会)

 Iさん、Hさん、T之内さん、Y口さんの4人プレイでした。
 買収で無理矢理最終選考に残ったY口公社のクロムウェルがT之内自動車のパンテルやHモータースのT34から漁父の利の勝利を得て採用をかっさらったりしていてY口公社の圧勝でした。
 I重工はスターリン3の開発に失敗したり、他社とのまずい取引で失敗したり(先のクロムウェルはI重工からY口公社に売却された)して鳴かず飛ばずでした。あげくの果てにコスト8の大口重戦車の競作では、Y口公社のシャーマンジャンボにパーシングを持って敗れ、結局1つも正式採用を勝ち得ること無く倒産したのでした。
 しかし、一番印象に残っているのは、Hモータースのホチキスで、紛争で何度惨敗を喫しても採用を取り消されること無く、生産が継続され、ロングセラーとなっていたことでした。



2005年5月3日(滋賀合宿)

 久しぶりにプレイ。
 H瀬さん、Hさん、S藤さん、T田さん、私の5人プレイです。
 序盤の軽戦車の競作ではS藤鉄工所のT34が大ベストセラーとなって独占市場となります。そのため他のプレイヤーから集中的に紛争を仕掛けられて戦いに次ぐ戦いとなります。
 それでもT34は優秀なだけに採用国はなかなか手放したがらず、採用取り消しになりません。
 そのT34の売り上げをつぎ込んで中戦車の競作でもS藤鉄工所が次々に採用を決めていきます。
 スチュアート、パーシング、ケーニヒスティーゲルと優秀な戦車を次々に開発していたのです。
 そんな状況だったため、紛争は常にS藤鉄工所の戦車が戦っていました。紛争ではT田自動車の社内企画戦車のソ連製の100mm砲を搭載したヤクトパンテルが優秀で、S藤鉄工所の戦車群を最終的にはほとんど採用取り消しにさせていました。
 重戦車の競作ではそのT田自動車のパンテルが実に5門の大砲を積んだ圧倒的な火力で採用を決めます。
 しかし次の競作ではH瀬重工のファイアフライが漁夫の利を得て採用を決め、この時点でS藤鉄工所の勝利が決まったので、ここで終了しました。



2000年11月19日(TSS例会)

 最初のプレイでは、私のスターリン3がベストセラーとなって重戦車のシェアを独占して勝利となりました。
 午後から、初プレイの方を交えて2回プレイされました。
 笑ったのが重防御、低火力の戦車の最終選考の戦車戦でどちらも相手を撃破することができず、それ以外では優劣もつかないため、再度戦車戦がされたのですが、やはり決着がつかず、仕方がないので、じゃんけんでけりをつけたことでした(笑)。


2000年11月25日(S.G.さん宅)

 プレイしたのは、S.Gさん、AMIさん、TraJanさん、私の4人です。
 これは私の作成したカードゲームでプレイヤーは兵器メーカーの戦車開発部門の責任者として、中小国の軍隊からの発注に合わせて、戦車カードと主砲カードを組み合わせて、戦車を設計し、発注を勝ち取るゲームです。
 今回は(も(笑))、多砲塔戦車が活躍する展開となりました。というのも、S.GさんのパンテルやスターリンII、私のT34やケーニヒスティーゲルなど強力な戦車を持つプレイヤーに限って有力な戦車砲が供給されなかったためです。ではどこに行っていたのかというと、AMIさんのところに集まっていたのですが、彼のところには、ろくな戦車がなく、重戦車の時代に入ってもなお、BT-7で戦っていたという(笑)。
 序盤から中盤にかけて、ほとんどの採用を勝ち取ったS.Gさんが圧倒的有利にありましたが、終盤の重戦車の競作ではケーニヒスティーゲルを有する私が有利と判断していました。しかし、いつも最終選考の戦車戦は3台が入り乱れる乱戦となり、私のケーニヒスティーゲルはAMIさんのSU-100に撃破されたり、S.Gさんの多砲塔戦車のラッキーヒットに履帯を破壊されたり(撃破扱い)と結局採用を勝ち取ることができず、S.Gさんの圧倒的大勝利に終わりました。


2000年12月9日(怪鳥宅)

 戦車狂想曲は5人プレイでした。プレイヤーは兵器メーカーとなり、戦車を開発して売りさばくゲームです。
 まずは、YENさんが、ルノーR35、2号戦車で軽戦車の採用を勝ち取り、軽戦車王国となります。しかし、最後まで軽戦車王国だったようで、重戦車の時代になっても、スチュアートに88mm対戦車砲を積んだりして頑張ってました(笑)。
 O崎さんは、社内企画にスターリン戦車を作り、それでもって、紛争を起こしまくって軽戦車を蹂躙してました(笑)。ここは重戦車王国でケーニヒスティーゲルとかも作っていて(ただし20mmとか37mmとかの豆鉄砲しか積んでなかったけど(爆))、重戦車の受注を勝ち取って最終的な勝利者になっていました。  Jefさんは例によってロシア軍になってました。T34で荒稼ぎしていました。ここは、2位だったかな?
 のるとさんはパンテルを得てこれで大量発注間違いなしと喜んでいたのですが、発表を急いだのが失敗で、他社からの圧力で開発中止に追い込まれてしまいました。その後はろくな戦車に恵まれず、最後までシャーマンでの戦いを強いられていました(笑)。
 よこいさんは初プレイということで勝手が分からなかったのか、今ひとつ目立った活躍はしていませんでした。確か122mm砲を装備したオリジナルのスターリンIIIを完成させて採用を勝ち取っていたと思うのですが、余りに当たり前すぎる戦車で印象が薄く、確信が持てません(笑)。


2000年12月17日(TSS例会)

 戦車狂想曲は2回プレイされました。
 最初のプレイでは、Jefさんが、スチュアート軽戦車に重軽取り混ぜて4門も大砲を積み込んで皆にあきれられていました。あまりの重量過大にあの軽快なスチュアートが人間とかけっこしても置いて行かれるようなスピードしか出せなくなっていました(笑)。それも厚くもない装甲を削りに削って小銃弾だって弾けるか怪しい程に軽量化していたというのにです。それでも足りずに天井と背面は開けっ放しという、戦車と呼ぶには、抵抗があるような代物でした。それでも先手さえとれれば、火力だけは桁外れなので、最終選考の戦車戦で勝利してしまい、重戦車として納入されてしまったという実績を残すのでした(笑)。
 あまりにひどい戦車が作れてしまうことに良識派のK藤1号さんが眉をしかめていました。いや、私もこういう事態は予想していて、当初はつめる大砲は2門までとしていたのですが、土壇場でその制限を撤廃してしまいました。その方が派手なゲームになると思ったからです。その目的は達成されたようです(笑)。
#でもまぁ、一度2門までのプレイもしてみようかな。
#確かに節操のないプレイヤーが多いからなぁ(笑)。
 2回目のプレイは時間切れで途中終了していました。
 O鋸さんの社内企画のパーシング戦車が世界中の紛争地で他社の軽戦車を撃破しまくっていました(笑)。


2001年1月7日(怪鳥宅)

 戦車狂想曲をプレイしました。
 最初の軽戦車は私の3号戦車が採用されましたが、私の採用戦車は結局それだけでした(笑)。次の軽戦車は錦大帝さんがリーで採用されました。
 その後、採用ラッシュを築いたのが、キエフ戦車工廠を名乗るS.Gさんでした。T34のバリエーションで次々に採用をかっさらい、中戦車の市場を席巻します。
 そして重戦車の競作となります。ここで本領を発揮したのが、怪鳥でした。怪鳥はクロムウェルに71口径88mm砲をオープントップで搭載した自称ナースホルンで競作に参加します。この戦車はS.GさんのT34、私のケーニヒス・ティーゲル、Hさんのパンテルと言った優秀戦車を次々に撃破して重戦車のベストセラーとなります。最後の超重戦車はHさんのスターリン3が採用されて終わりました。
 終わってみれば、重戦車のベストセラーとなった怪鳥の勝利でした。
 というわけで本ゲームの最高戦車はナースホルンと言うことになったのですが、この戦車、オープントップで後ろはがら空き、元々厚くもない装甲も削りに削って軽戦車並の前面装甲という戦車で、錦大帝曰く、「これって、そんな傑作戦車かぁ?」
そこで私が答えて曰く、「勿論だよ。君だって、見たら笑うだろう(笑)?」
 尤も、ナースホルンが勝ち残れたのは、最終選考が1対1ではなく、3台以上の乱戦だったからですけどね。
 しかし、このゲーム、機動力の悪い戦車は役に立たないなぁ。ケーニヒスティーゲル全然勝てなかったものなぁ(笑)。


2001年1月14日(TSS例会)

 戦車狂想曲もプレイされました。S.Gさんとのるとさんが萌えカードゲームに抜けて5人でのプレイです。
 このプレイでは、M川重工がシャーマンのバリエーションで軽戦車の市場を独占します。それに対して私は紛争を仕掛けて評判を下げさせようと企みます。ソ連製の76.2mm砲を2連装で搭載したパンテルで必勝態勢で挑んだのですが、敵の待ち伏せに引っかかって側面から一撃されて為すすべもなく撃破されてしまうのでした。それでミソを付けたパンテルは開発中止に追い込まれ、風間戦車工廠は以後採用されることはありませんでした(涙)。
 M川重工はその後もクロムウェルやスターリン3で多数の採用を勝ち取り、ほぼ戦車市場を独占する大勝利となったのでした。


2001年2月11日(TSS三島合宿)

 戦車狂想曲は今回N島さんがT34に5門の砲を積んだ戦車で採用を勝ち取り、従来の記録だった4門搭載の記録を塗り替えました(笑)。その後、7門搭載までいける!と狙っていたのですが、他のプレイヤーに阻止されて悔しがっていました(笑)。
 ゲームの勝敗は最後の重戦車の競作で勝利したるっつさんがもう一人と同点勝利していました。最後の戦いはパーシング、ケーニヒスティーゲル、スターリン2、スターリン3と最強戦車揃い踏みの見応えのある戦車戦が繰り広げられました。


2001年3月17日(TSS例会)

 戦車狂想曲をプレイしました。
 大阪からふらりと参加されたIMUさん、Jefさん、錦大帝さん、私でのプレイです。
 私は最初の軽戦車の競作で日本製の47mm砲を搭載したオリジナル一式戦車で参加しますが採用されません。くやしいので、次の設計でティーゲルを社内企画戦車として設計して、Jefさんに紛争を仕掛けてやりました(笑)。ティーゲルに蹂躙されたJefさんの軽戦車は役立たずの烙印を押されて生産中止に追い込まれるのでした(笑)。
 第3回目、最後の軽戦車の競作。発注者は軽戦車にも関わらず、戦闘で破壊されるのは困ると、防御力第一を求めます。それに答えて、IMUさんは文字通り、コストダウンを重ね、なんとKVIで競争試作に参加。見事、KVI軽戦車(爆)で採用を勝ち取るのでした。
 JefさんがT34/85を得て、採用ラッシュとなり、業界トップに躍り出ます。
 負けじとIMUさんもT34/76で採用を得ていきます。これが重戦車だったりするのがご愛敬(笑)。KVI軽戦車の次には、T34重戦車という楽しい戦車が並ぶことになりました。
 錦大帝さんもクロムウェルで優秀な戦車を設計するのですが、残念ながら採用を得ることができません。
 私はシャーマンジャンボで頑張りますが、結果は、、、明らかですね(笑)。
 結局大量採用を得たJefさんが、最後の重戦車もスターリンIIIで制して圧勝しました。
 このゲーム、T34が優秀すぎて大量採用に結びついてしまうのが、バランス悪いかな?
 パンテルはT34以上に優秀なのですが、コストが高くて今一使い勝手が悪いです。
 このゲームではクロムウェルはT34に負けないほど安くて高性能なのですが、不思議と活躍しませんね。


2001年3月25日(TSS例会)

 終了まで1時間半ということで、時間的に丁度良いということで、戦車狂想曲がプレイされました。
 私がT70やマチルダで軽戦車(笑)の市場を制しますが、T34/85とパーシングで中戦車の市場を制したHさんが優勢でした。しかし、Hさんには、豆鉄砲しか来なかったとかで、重戦車の発注では苦戦し、スターリンIIIを擁するO賀さんに勝ちをさらわれていました。
 今回のプレイで採用された、ゲテモノ戦車は、オープントップタイプのシャーマンジャンボとか、パンテルの車体に88mmL56を搭載し、旋回砲塔には、20mm機関砲と37mm砲を同軸装備したパンテルとかがありました(笑)。でもそのぐらいなので、あんまりゲテモノは出ていませんでしたね(笑)。


2001年6月9日(TSS例会)

 戦車狂想曲は、5人プレイです。
 このプレイでは、私がT34/85のバリエーションで大ベストセラーとなり、圧勝しました。あんまり変な戦車も出てこなかったので、印象の薄いプレイでした(笑)。でも、最後の重戦車の競作では、全プレイヤーが最終選考に残って大戦車戦になりましたけど、みんな装甲1とか2でそのくせ128mmとか88mmとかやたら凶悪な大砲を振り回してましたね(笑)。


2001年7月15日(TSS例会)

 戦車狂想曲を5人でプレイしました。
 BT−7で軽戦車の市場を席巻したo-rora重工でしたが、そのために他のメーカーから集中攻撃を受けて没落してしまいます。
 その後、O崎重工がT34で中戦車の市場を独占します。
 それに続く重戦車の市場はM川重工のケーニヒスティーゲルが独占します。
 しかし、最終的に勝利したのは、スチュアートで15点を稼いだ風間戦車工廠でした。
 風間戦車工廠に勝利をもたらしたスチュアートの最終形態はシャーシに直接70口径75mm砲と17pdr砲を取り付けたもので、邪魔な装甲板とかは全部取っ払った質実剛健な車両でした(笑)。


2001年11月10日(オデッセイさん宅)

 最初の軽戦車は防御力重視。よねピーのM13と私のT70の争いとなり、M13が勝利しました。このM13は紛争に敗れて早々に退役することになるのでした(笑)。
 次の軽戦車はオデッセイさん、最後の軽戦車と最初の中戦車は私のクロムウェルが採用されます。
 M本さんは、ゲーム中最優秀と言って良いT34/76を有しながらも採用を得ることが出来ず、「このゲーム、つまんねぇ」と呟くのでした(笑)。
 2カ国で採用された私のクロムウェルは他のプレイヤーの目の敵にされてしまい、次々に紛争をふっかけられ、大損害を被って退役を余儀なくされます。7VPあった得点もわずか2VPまで激減してしまいます。
 続く中戦車の採用はM本さんのT34がようやく獲得。連続採用を勝ち取ってM本さんがVPトップとなります。
 ゲームの勝敗を左右する重戦車の発注が始まります。
 最初の重戦車は私のシャーマンジャンボを押さえて、よねピーのケーニヒスティーゲルが採用されます。
 しかし、ケーニヒスティーゲルは生産性が悪く、1カ国の必要量を生産するのが精一杯で次の発注に対応することが出来ません。その隙を付いて私のシャーマンジャンボが次の重戦車の採用を勝ち取ります。
 こうして迎えた最終ターン。8VPのよねピー、10VPの私、12VPのM本さんはこの採用を勝ち取れば勝利となります。オデッセイさんは2VPとトップ争いから脱落するのでした(笑)。
 火力重視の要求仕様でした。私は4門搭載、火力14のオープントップ・クロムウェルで参加。他の3人は全員火力8。ということで最終選考は全員での乱戦となります。全員7だったら私がダブルスコアで採用を決めていたのに。
 最終選考の模擬戦ではM本・オデッセイ同盟がよねピー、私を各個撃破し、最後には、M本さんが勝って21VPと大勝利を得るのでした。
勝利者のM本さんの弁「このゲーム、おもしれーな」(笑)。


2001年11月24日(TSS例会)

 戦車狂想曲はいとちゃん、ハナザーさん、K児さん、私の4人プレイです。ハナザーさん、K児さんは初めてのプレイです。
 最初の4つの採用枠は4人に綺麗に行き渡り、バランスの良い滑り出しとなります。そこでハナザーさんが呟きます。「飛行機(競争試作)と違ってあんまり変なのはできませんね」これが、大いなる誤解であることに気が付いたときには、中戦車の発注を全て私といとちゃんに奪われていたのでした(笑)。
 そのころ、社内企画でスターリンIII(17pdr砲搭載)を開発したいとちゃんが世界中で紛争を起こしまくっていました。
 重戦車の発注でも採用を私といとちゃんで分け合い、最終ターンには、ハナザーさんもK児さんもトップ争いから脱落します。
 そして最終ターン。重装甲を求められた各社は次々に名乗りを上げます。いとちゃんはスターリンII、ハナザーさんはパーシング、K児さんは、、、何だっけ?(笑)、私はシャーマンジャンボで、なんと全員での最終選考となります。ハナザーさんがいとちゃんを撃破し、私がK児さんを撃破、私とハナザーさんの一騎打ちとなります。しかし両者共分厚い装甲板を撃ち抜くことが出来ず、引き分けとなります。ジャンボの方がパーシングよりも若干防御力が優れていたため、私が採用を勝ち取り、ゲームにも勝利しました。
 初プレイの2人は私やいとちゃんの作る多砲塔戦車にあきれていました(笑)。私も当初は搭載砲は2門までとルール化しようと思っていたぐらいでやたら砲を載せるのは良くないと思っていたのですが、いまでは、1門2門では物足りなくなってしまいました(爆)。


2002年2月24日(TSS例会)

 軽戦車の競作はむしゅふしゅさんがスチュアートで最初の2つを取り、最後はていとくさんがT34で採用を勝ち取りました。
 T34は非常に優秀な戦車のため、みんなから目の敵にされてていとくさんは嵐のような紛争に巻き込まれて戦い続けていました(笑)。それでも最後までT34は生き残っていたのは流石です。
 中戦車の競作では、T34とのるとさんの多砲塔リーが採用されていました。
 重戦車の競作となり、ようやく私にも運気が巡ってきます。私のケーニヒスティーゲルが最初の重戦車を制します。しかし、生産に手間のかかるこの戦車は1国に供給するのが精一杯で次の競作には参加させることが出来ませんでした。
 その隙に採用をスターリンIIIで勝ち得たのがAMIさんでした。
 そして最後の競作は火力勝負ということでていとくさん、むしゅふしゅさん、私の三つ巴の戦いとなります。ところがそこに審査員を買収して無理矢理最終選考に残ったAMIさんが入ってくるのでした。そしてこのAMIさんの戦車が四つ巴の乱戦を制して採用を勝ち取り、ゲームにも勝利するのでした。


2002年8月25日(TSS例会)

 戦車狂想曲は戦闘ルールを一新した第2版ルールでのプレイです。
 Hさん、のるとさん、私の3人プレイとそれにS.G.さん、M川さん、T井さんが加わった6人プレイの2回プレイされました。
 以前に比べてルールがシンプルになり好評でした。
 最初の3人プレイではのるとさんが驚異の命中率で次々と採用を勝ち取り大勝しました。
 6人プレイの時には、私がBT-7に152mm砲や128mm砲を搭載し、その大火力にものを言わせて勝利しました。
 のるとさんの多砲塔クロムウェルのつるべ撃ちをことごとくかわして逆転の128mmで撃破した時には楽しかったですね(笑)。


2002年9月14日(S.G.さん宅)

 最初の軽戦車に要求されたのは防御力。私は一式中戦車で参加し、みねさんのホチキスとの最終選考となります。防御力と火力では互角ながら機動性に優れる一式の採用が本命視されていましたが、模擬戦で勝負がつかなかったため、値段の安いホチキスに採用をさらわれてしまったのでした。悔しいので次のターンに採用した国に紛争を仕掛けてホチキスを撃破、退役に追いやるのでした(笑)。
 第2ターンも防御力が要求され、私はシャーマンで参加します。コストを押さえるために主砲は一式の主砲を流用して開発しました。この戦車で見事採用を勝ち取ります。
 そして第3ターン、歴史に残る迷戦車が登場します。AMIさんの開発したケーニヒス・ティーゲル軽戦車です(爆)。私のT34/47(T34/85の車体に我がメーカーの戦車がみな搭載している一式47mm砲を搭載)との最終選考となります。遠距離砲撃ではケーニヒス・ティーゲル軽戦車の100mmを越える前面装甲に我が47mm砲ではまるで歯が立ちません。尤も、ケーニヒス・ティーゲル軽戦車の砲も37mmクラスの豆鉄砲で、T34相手には歯が立ちません。
 接近戦に勝負はもつれ込みます。私のT34は軽快な運動性にものを言わせて相手の側面に回りこみます。そしてそこからの一撃で簡単に撃破してしまうのでした。実はケーニヒス・ティーゲル軽戦車はコストを切り詰めるために前面以外の装甲は全て取り外したオープントップ車両だったのです(笑)。AMIさんはその後も開放感あるオープントップにこだわり続け、没落して行きました(笑)。
 このゲームで勝利したのは、T34/76とスターリンIIIを擁したS.G.さんでした。私は重戦車に恵まれず、中戦車以降の採用はありませんでした。


2002年10月12日(TSS例会)

 戦車狂想曲を4人でプレイしました。
 プレイヤーはY口さん、軍団総長さん、のるとさん、私です。
 今回私はカードの回りが良く、戦車カードも主砲カードもバランス良く手にしており、全ての競作に参加しました。2号戦車を皮切りにT34/85,T34/76,パーシングと手にしていたのです。その割に戦車戦に勝てなくてあまり採用は稼げませんでした。その分稼いでいたのがY口さんです。Y口さんの多砲塔BT-7が多数の採用を勝ち取っていたのです。
#多砲塔BT-7に私のパーシングが敗れた時はショックでした。
 Y口さんはBT-7と最後の最後に登場させたスターリン3で戦っていました。
 のるとさんはパンテル一筋です。
 軍団総長さんはこのゲームに慣れていないこともあって極端な性能の戦車を作ることができず、ついに一度も予選突破はなりませんでした。
 最終ターン開始時に軍団総長さんを除く3人の勝利得点はほぼ横並びとなり、更に最終ターンの最終選考もこの3人の三つ巴の戦いとなるのでした。
 勝負を制したのはのるとさんだったかな?高性能なだけに高価なパンテルのコストダウンに成功したのが勝因だったようです。


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