2006年2月25日 TSS例会

 D井上人、豪商T井、公家O崎、風間大司教の4人プレイです。
 セットアップでは火薬の売り上げで稼いだのか大司教は大量の調略札に恵まれ、それならばと武田を除く全ての大名に一枚ずつ配置しました。うまく行けば2つ3つの大名の支配権を得られるとの思惑です。しかし、世の中それほど甘くはなく、結局北条氏の支配権を得ただけでした。
 セットアップ時点で上人が毛利、島津を支配下に置き、豪商は武田、公家は上杉にそれぞれ支配権を得ます。
 今回は事件札をプレイせずに捨て札した場合には山札から一枚得られるとのルールでプレイしてみました。あまり意味もなく事件札が使われるのがどうも気に入らなかったからです。しかし結果としてこれは失敗でした。事件札が全く使用されなくなってしまいましたから。このルールは今回限りで廃止です。

第1ターン
 上杉、武田、北条の東国3大名が活発に勢力を伸ばします。特に上杉は東北を完全に手中に収め200万石を越える大大名となっていました。当然上杉を支配下に収めた公家が勝利得点1を獲得します。
 西国の毛利、島津の動きがないのは、大司教が毛利に調略の手を伸ばしていたため、支配権を既に得ていた上人がその対応に追われていたのが大きな理由でした。このゲームは複数の黒幕が調略を競い家中が揺れている大名はなかなか勢力を伸ばすことができないのです。

第2ターン
 東国3大名の勢力拡大は続きます。特に北条は上野、下野、常陸と拡大し、上杉以上の大勢力に成長します。上杉は一向宗との確執から北陸方面への拡大に苦戦していました。武田は今川を滅ぼし東海道に侵出します。
 北条を支配下に収める大司教が勝利得点を得ます。

第3ターン
 このターンのトピックは武田パウロ晴信(#いや、前ターンに武田に対して切支丹の事件札が使用されていたので(笑))の死亡でした。このため武田の勢力拡大は止まります。
 上杉は一向宗の抵抗を排除しつつ、越前まで勢力を拡大します。
 北条は周囲を上杉領と武田領に囲まれ、そのどちらとも和議を結んでいたため侵出先がなくなってしまいました。そのため、北条は上杉との和議を反古にして陸奥を占領します。これで北条は最大大名となり支配プレイヤーである大司教が勝利得点を得るはずでした。ところが、公家の陰謀で北条の支配をひっくり返され、大司教は北条の支配を奪われてしまいます。代わりと言っては何ですが、それまでの地道な調略がようやく実を結んで上杉の支配権を大司教が獲得します。こんなことなら北条の陸奥攻撃なんかしなかったものを、、、。
 東国3大名以外の大名がようやく動き始めました。豪商の支配下にあった織田が紀伊方面に侵出を試みますが、一向宗の激しい抵抗にあって頓挫しています。
 西国2大名は相変わらず動きがありません。なぜなら、それらの大名を支配している上人は勢力拡大に全く動かず、ひたすら大名の調略ばかりに現を抜かしていたからです。

第4ターン
 織田は紀伊方面への侵攻を今度こそ成功させます。
 しかし、このターンすばらしい拡大を見せたのは上杉でした。大司教の手札に大量の動員札が来たためです。支配プレイヤーが変わって復活した上杉北条同盟を生かして北条勢も動員して圧倒的大兵力を持って、美濃、近江を、若狭経由で近畿北部、中国地方東半分と急速に拡大し、毛利領と接するほどとなります。
 ところが、またも公家の陰謀にはめられ大司教は上杉の支配権を奪われてしまいます。こうしてこのターンも得点は公家のものとなります。

第5ターン
 上杉北条同盟は既に日本の過半を支配し、盟主の上杉が上洛を果たせば天下統一が成る状況となります。
 京の守備力は最低の1でしかなく、更にどの大名にも支配されていないため後詰めもありません。そのため上洛は簡単に成ると思われましたが、上杉勢の切支丹勢力の妨害工作により2度に渡って失敗に終わり、山城要塞と呼ばれることとなります。それでも3度目の出陣でようやく上杉謙信は上洛を果たしたのでした。
 上杉謙信死去。上杉北条同盟は崩壊してしまいました。その隙をついて織田が京を陥れ上杉の天下統一は水泡に帰します。
 ところが山札がこのターンで尽き、ゲームは終了しました。
 こうして日本は戦国の混乱から抜け出すことなく、西欧列強の植民地と化すのでした。大司教の勝利です。
 謙信を暗殺して大司教の勝利に最大の貢献をしたのは豪商T井でした。



2006年2月19日TSS例会

 T之内朝廷、Y口公家、H大司教、風間上人の4人プレイです。
 セットアップで大成功をおさめたのは公家でした。上杉、北条の東国2大名を支配下に置いたのです。それに次ぐのは朝廷と上人で朝廷は毛利を上人は織田と結びます。大司教は日本に到着したばかりなのか、大名に全く調略の手をのばすことができません。

第1ターン
 切支丹の呪か、はたまた南蛮渡来の疫病に因るものか、日本は全国的な飢饉に見舞われます。
 兵糧の不足から軍事行動を大きく制限される中、それでも領土拡張を行います。
 毛利は瀬戸内の海賊衆を味方に付けることに成功し、余勢をかって中国地方の統一を目論みますが、失敗します。
 本願寺と和睦した織田は一向衆信徒の加勢を得て紀伊半島から近畿南に勢力をのばします。
 武田は信濃を、上杉は北陸は越中方面と順当に勢力をのばしました。
 その過程で大名間に多数の和議が結ばれ、それらを取り持つ勢力が大名家中に影響力を浸透させていきます。それにより、大司教は武田家当主に洗礼を受けさせることに成功します。
 織田の勢力伸長著しく、上人は勝利得点を1点得ることとなります。

第2ターン
 飢饉の傷跡残る中、各大名は活発に勢力をのばします。
 毛利は東方への侵攻で一敗地まみれたためか、今度は鉾先を南方へと変え、四国に上陸します。その後、今度は九州に侵攻し、大友家を滅ぼします。
 織田は一向衆の協力のもと、近畿地方を制圧し、京に上洛を果たします。
 北条は房総半島全域を占領します。
 織田の勢力伸長は順調で、このターンの勝利得点も上人が得ることとなります。

第3ターン
 公家と朝廷の間で暗闘がくり返され、その結果、毛利が公家の支配下となります。
 その一方で、公家の支配下にあった北条は切支丹勢力に飲み込まれていたのでした。
 飢饉の影響からようやく立ち直ったこともあり、このターンは軍事行動が活発化します。
 毛利の支配を公家に奪われた朝廷が世を儚んで自暴自棄になって織田に軍事行動をひたすらけしかけた影響でもあります。
 その結果、織田はこのターンだけで、今川、朝倉、浅井、斉藤を滅ぼし、日本の1/3近くを領する大勢力となります。
 その間他の大名はどうしていたかと言うと、、、。
 毛利は当主の隆元が暗殺されて喪に服していました。
 上杉は北に鉾先を向け東北地方全域を制圧します。
 北条は上野下野と北方に勢力を伸ばします。
 織田、毛利、北条の三国同盟は日本の半ば以上を支配し、戦乱に終止符を打つに十分な力を持っていました。しかし、戦乱の終結を望まぬ、大司教は北条を動かし、一方的に同盟を破棄させるのでした。これにより天下統一こそ阻まれますが、このターンの勝利得点はもちろん織田を支配下におさめる上人のものとなります。

第4ターン
 当主が暗殺された影響で毛利に対する公家の支配は崩れ、朝廷の支配が回復します。
 織田の天下布武は達成されたかに思われましたが、それを阻止すべく、大司教は支配下にある北条を動かします。
 異教徒討滅の十字軍となった北条勢三万五千が東海道を西進します。迎え撃つ織田勢は尾張からの援軍と一向宗信徒の加勢で北条勢を上回る四万の軍勢を集めます。しかし、夜陰に乗じて本陣を急襲された織田勢は呆気無く崩壊してしまいます。この富士川の合戦の勝利に勢いを得た北条勢は余勢を駆って濃尾平野を席巻、尾張勢は富士川の合戦で主力が壊滅していたため抵抗らしい抵抗もできません。北条勢の勢いが強すぎて他の領国からの援兵も間に合わず清洲城はあっさりと陥落し織田による天下統一は大きく後退したのでした。
 北条十字軍の活躍は凄まじく、当然このターンの勝利得点は大司教が得るところとなります。

第5ターン
 一時天下を掴みかけた織田には他勢力からの調略が集中していました。それに対して織田を支配下に置いていた上人は北条との戦争で調略どころでなく、その結果織田の支配権は公家にさらわれることとなります。
 支配大名を一つも持たないわけにはいかないと上人は数ターン前から武田家中に潜り込ませていた隠れ一向宗にクーデターを起こさせ、武田の支配権を大司教からもぎ取ります。
 織田の仇を武田で討とうと上人は武田勢を東海道に南下させ、三方原で北条勢を破り、北条領を分断します。
 織田はその三方原の合戦の前に北条と手打ちして不可侵条約を結ぶと中国地方に勢力を伸ばしていました。
 北条と織田、2大大名の支配権を争う暗闘の中、遂に朝廷は伝家の宝刀を抜きます。織田を朝敵に指名し、織田を取り巻く和議密約を全て破綻させたのです。その結果、織田に対する公家の支配は崩れます。その後、織田の外交関係の再構築を果たした上人が織田の支配権を回復したのでした。
 そんな中、上杉勢が突如、美濃に侵攻、これを占領します。これによって上杉の勢力は織田、北条を上回ることとなり、更に、武田、毛利、島津との四国同盟は日本の半数以上の領土を支配していたのです。つまり、上杉が上洛を果たせば新潟に幕府が開かれることとなるのです。
 上杉勢一万五千が京に上ります。対する京の守備隊は五千。それに明智光秀率いる一万が後詰めとなります。ここで公家は切り札を使います。明智殿裏切り。後詰めを失った京守備隊は奮戦します。
戦国最強をうたわれた上杉勢はその名声に似つかわしくも無く3個のダイス振りで1、2、2を振って戦闘結果は5。京守備隊は1個振りながら同数は守備側の勝ちなので、5、6を振れば勝利です。出目は4!
 上杉氏による新潟幕府の始まりでした。
 得点計算です。
 天下を統一した上杉を支配下に置いていた公家には5点が与えられます。しかし、公家の得点はこれだけでした。
 天下統一を助けた上杉同盟大名の支配プレイヤーには各3点が与えられ、その他の大名を支配するプレイヤーには各1点が与えられます。
 その結果なんと朝廷が6点を得ます。
 しかし、それまでの蓄積ポイント3点を持っていた上人が総計7点を挙げて勝利しました。
 日本はその後一向宗が国教となった宗教国家となるのでした。



2006年2月4日 TSS例会

 Y口朝廷、N南公家、偽H豪商、風間将軍の4人プレイです。
 以前の2回のプレイでは各プレイヤー自分の気に入りの大名を決めてその大名に天下を取らせようと行動していました。しかし、今回のプレイでは各プレイヤーは大名の支配に血道を揚げ、大名の勢力拡大がおろそかになる展開でした。
 そのためプレイ中にプレイヤーの手元に残るカードが多くなり、山札が少なくなってしまい、ゲーム終了が思いのほか早く訪れてしまいました。また、大名の勢力拡大も遅かったため、ゲーム終了時に空きエリアが多数残されている状況でした。
 大名のコレクションに励むプレイヤーばかりだとゲームが進ませんね。
 今回のプレイヤーは合戦に使う手札をけちって合戦に調略を使わず力押しばかりだったので、大名側の勝率が低く、これもゲームの進みが遅かった要因でした。
 また、自分が何をしたいかではなく、まず人の邪魔をすることを考えるプレイヤーと目先の利益を口実にゲームプレイをぶち壊そうと画策するプレイヤーがいたため展開はいまいちでした。とりあえずゲームプレイをぶち壊されるのは困るので、ルールに一文加えておこう。
「第1ターンに大名を滅ぼしてはいけない」

 最終ターンに日本を植民地にされるのだけは阻止しようと、Y口さんが支配する毛利をプレイヤー全員で支援して天下を取らせて終了しました。最終ターン開始時には私の支配する織田にもチャンスがあったのですが、イベントの大名死亡をぶつけられて万事休しました。



2006年1月29日 TSS例会

 4人プレイ。
 Hさん:朝廷
 T井さん:豪商
 T之内さん:上人
 私:大司教

セットアップ
 配られた手札に調略札が1枚しかなく、それも最低の調略値1。自分の運の悪さを呪いながらも、「海の向こうから上陸したばかりのキリスト教勢力としては仕方ないか」と自分を納得させる私でした。
 最低の調略値しかないので、一番天下に遠い北条氏に使用したのですが、なんとH天皇やT之内上人も北条氏に調略の手を伸ばしていたため何もできずに終わります。
 セットアップの調略で大成功を収めたのは豪商T井でした。毛利氏、島津氏の西国の両雄を共に支配下に収めます。
 それに並ぶのがT之内上人で、こちらは上杉氏、北条氏の東国の二雄を支配下に収めていました。
 H天皇と風間大司教は大名支配なしです。

第1ターン
 各プレイヤーは大名支配を固めるため、はたまた少しでも大名に影響力を持つために、活発な外交を展開します。このゲームでは大名間の同盟や不可侵条約を取り持つことにより大名支配のための調略値を得ることができるのです。
 その結果、大司教が織田氏の支配権を得、朝廷は北条氏の支配権を上人から奪います。ところがその直後北条氏当主が死去し、苦労して得た朝廷の北条氏支配体制は崩壊してしまったのでした。
 大名の支配を固めた豪商と上人は支配下の大名の勢力拡大を目指します。それにより、上杉氏は出羽、北陸東を、毛利氏は中国地方を統一し、島津氏も九州を北上していきます。
 このターン、最も大きな勢力となった大名は毛利氏であり、その支配プレイヤーである豪商は勝利得点を1得ます。天下統一に向けて努力するプレイヤーにはこのように勝利得点が与えられるのです。

第2ターン
 各プレイヤーの大名支配体制は堅固となり、早くも固まり始めます。
 そのため、大名の勢力争いが激しくなって行きます。
 毛利氏は瀬戸内の支配を進めます。
 武田氏は信濃を攻略します。
 織田氏は上洛を果たします。
 上杉氏は北陸西へ侵攻、上人の動員した一向宗信徒の合力を得て、南無阿弥陀仏の旗印を先頭に、これを攻略します。
 上杉氏の勢力伸長が著しかったのと、手元に上杉氏のみに使用できる調略札が複数あったため、私は上杉氏への調略を強めます。それに警戒した上人は明確に私を敵と判断したようでした。まぁ、相手は仏教を代表するのだからキリスト教を代表する私と敵対するのは当たり前ですが。
 そのためか、私の支配する織田氏が近畿南に勢力を伸ばそうとしたところ、本願寺勢を動員して敵対し、織田勢は撃退されてしまうのでした。
 上杉氏の勢力が最大となり、上人が勝利得点を得ます。

第3ターン
 上人の調略の手は武田氏にも伸び、これを支配下に置きます。実に3大名を支配下に収め、絶好調です。
 ところがここで、突然、朝廷は北条氏を朝敵と宣言。追討令を発します。この影響は絶大で北条氏は全ての大名から断行されてしまいます。そのため、武田氏との同盟も崩れ、それを取り持った上人の武田氏への影響力が低下しました。朝廷の狙いはそれだったのです。間髪を入れず武田氏と北条氏の同盟を取り持った朝廷は武田氏の支配権を確立したのです。
 朝廷支配下となった武田氏は上洛を目指して、、、は行きませんでした。逆に上野下野と東へと勢力を伸ばします。一向宗怖いと、、、。
 一向宗に恨みある織田氏は一向宗許すまじと、再び近畿南に侵攻し、あっけなく撃退されるのでした。
 その一向宗と結託する上杉氏は美濃近江を制圧し、京へと乱入します。しかし上杉氏家臣の隠れ切支丹が裏切り撃退されます。
 近江にまで勢力を広げた上杉氏は最大大名の座を守り、上人は更に勝利得点を加点します。

第4ターン
 東に進んだ武田氏は陸奥の国は平泉まで達します。
 島津氏は九州を統一し、四国に進出します。
 上杉氏は執拗に京を目指しますが、織田氏の後詰めと、上杉氏内部の不協和音により2回の侵攻は悉く撃退されます。
 京に侵攻する上杉勢の切り崩しに切支丹を動員していたため、上杉氏に対する大司教の影響力はかなり低下してしまいました。その分上杉氏への調略を強めます。そのため他のことが何もできず大司教支配下の織田氏は未だに本国の他には京を支配するのみです。
 この時点で全く勢力拡大をしていない大名は北条だけです。
 このターンにも最大勢力大名を上杉氏は維持しますが、勢力拡大に失敗したため勝利得点はなしです。この勝利得点は天下統一に向けて進んでいる場合に与えられるもので、足踏みしていては得られないのです。

第5ターン
 東国は上人と大司教の宗教家同士の暗闘が続いており、政情が安定しません。
 そのため、上杉氏の対外進出が止まります。更に、上人は北条氏の支配権も失い、一時3大名を支配した上人は上杉氏の支配権を残すのみとなります。
 その上人と暗闘を繰り返す大司教も支配下の織田氏の勢力拡大にまで手が回りません。
 そんな東国を後目に西国大名を独占支配する豪商は絶好調です。
 毛利氏は近畿北に進出し、京に手が届くところまで到達します。
 島津氏はそれに少し遅れて瀬戸内東を支配下に置き、近畿南への上陸を狙います。
 しかし、このターン勝利得点を得たのは朝廷でした。朝廷支配下の武田氏は北条氏の勢力を除く関東全域を制圧し、最大勢力の大名となったのです。豪商は2つの大名をバランス良く拡大していたため最大大名とはならなかったのです。

第6ターン
 東国の宗教暗闘は続いています。上人の反撃により、大司教は織田氏の支配権を失ってしまいます。
 しかし、大司教も負けてはいません。織田氏の当主に洗礼を施し、上人の仏教勢力を一掃し、織田氏の支配権を回復したのです。
 そんな暗闘を神仏が怒ったのか、このターン日本を飢饉が襲います。その悪条件の中を織田氏は東海道平定を目論み出兵します。上人の使嗾によるものです。明らかに無謀な出陣でしたが、暗闘により支配力の低下していた大司教には止めることができません。案の定合戦に敗れた織田氏はその兵力の大半を失うのでした。
 島津氏が予定通り近江南へと上陸し、西国の二雄が京に迫ります。
 このターンは勝利得点を得たプレイヤーはいませんでした。やはり飢饉の影響が大きく軍事行動は低調でした。

第7ターン
 次のターンで最後の山札が尽きることが明確となり、このターンが最終ターンとなります。
 未だ天下の行方は混沌としており、大司教勝利のチャンスは大きい展開です。このゲームはゲーム終了時に天下統一を成し遂げた大名が出ていない場合、日本は西欧列強の植民地となってしまったものとして大司教の勝利となるのです。
 その大司教は長年の調略により、ようやく上杉氏を支配下におくことに成功します。しかし、それまでの暗闘による影響により、上杉氏は弱体化しており、とても天下を狙える状況ではありません。そのため天下統一を妨げるべく、出陣を繰り返しますが、旧支配者上人の息のかかった残党どものサボタージュによってことごとく失敗します。それどころか本城の守将はあろうことか武田勢を春日山城に招き入れる裏切りを行い、本拠越後を失うのでした。
 天下統一を達成できる可能性のある大名は最早、毛利氏だけです。そのためには京を取ることが必須条件です。しかし、京を支配する織田氏とは同盟関係にあり京侵攻の名分が立ちません。しかし、ここで朝廷の差し向けた暗殺者が織田氏の当主を暗殺し、そんな同盟を反古にしてしまったのです。
 毛利勢は京、尾張と席巻し、瞬く間に織田氏を滅ぼしてしまったのでした。飢饉の中での無謀な出兵により兵力を損じていた織田氏は抵抗らしい抵抗もできませんでした。
 京を押さえた毛利氏は、同盟する武田氏との合計で日本の半分以上を支配しています。しかし、未だ武田氏の方が勢力が大きく、天下統一とまでは行きません。京の支配と同盟内での最大勢力の双方が揃わねば天下に号令をかけることなどできないのです。
 毛利氏は最後の兵力を動員して近畿南に攻め込みます。そこは島津氏の勢力下に一時的になっていましたが、突如勃発した一向一揆によって撃退されていたのです。
 毛利勢は2万5千で侵攻、迎え撃つ一揆勢は毛利氏の調略により5千足らずとなっていました。毛利氏による天下統一は成ったも同然です。しかし、ここで大司教が最後の切り札を切ります。毛利氏に従う切支丹武将を寝返らせたのです。これにより毛利氏の兵力は一気に1万足らずにまで激減します。
 この合戦の結果は毛利勢2個、一揆勢1個の賽の目合計の大きい方の勝利となります。同数は一揆勢の勝利です。まず一揆勢の賽が振られます。出目は5。一揆勢は奮戦します。続いて毛利勢の賽振り。出目は6!。毛利勢は辛うじて勝利を拾い、天下統一を成し遂げたのでした。
 こうして日本は豪商主導の商人国家となり、この後、重商主義政策を押し進め世界中に進出する貿易国家となるのでした。



2006年1月15日 TSS例会

 初プレイです。
 D井朝廷、K藤2号公家、S藤将軍、T井上人の4人プレイです。
 各プレイヤーは自分が黒幕であることを忘れ、それぞれ思い入れのある大名の支配権を得ると、ひ
たすらその大名の勢力拡大を目指す展開となりました。
 K藤2号さんが織田、S藤さんが武田、T井さんが上杉です。D井さんは思い入れのある大名がいない
のか冷静なプレイでした。
 織田は京に近いため天下に最も近いところにいました。しかし、長良川の合戦で、武田上杉同盟軍
に4倍の戦力を打ち破られて衰退します。それでも毛利相手の石山合戦ではかろうじて勝利を拾いま
すが、直後の一向一揆で近畿を失い天下布武は夢と消えます。
 武田は初期国力の低さをものともせず信濃、東海道に勢力を広げますが、結局は頭打ちとなりま
す。
 上杉はT井上人の支援のもと、一向宗信徒と協力し、北陸、東北を制圧していきます。
 これら大名の表の活躍の裏で暗闘が行われていました。その結果、織田の支配権はK藤2号さんから
S藤さんを経てT井さんへ移りました。
 上杉の支配権もT井さんとD井さんの間で激しい取り合いとなり、最終的にD井さんの支配するとこ
ろとなります。
 最終的に天下を統一したのは、上杉でした。上杉が天下統一を果たした時点で3つの大名を支配下
においていたD井朝廷が圧勝しました。
 プレイタイムは説明込みで3時間ほど。ただ、他の戦国ゲームとは大分毛色が違うので理解するの
に時間がかかりそうでした。実際今回のプレイヤーも自分の大名を決めてプレイしていたようなとこ
ろがあり、そういう点で冷静だったD井さんが勝利したのは当然だったような気がします。
 今回のプレイで煩雑だったところがあるので、その点を改良して完成ですね。


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