2007年6月10日 TSS例会

 当日の参加者は10名。
 プレイされたゲームは、射手座の日(同人)、ドイツ装甲師団長(アドテク)、スモレンスク攻防戦(コマンド)、第1次世界大戦(コマンド)等です。
 
 射手座の日はアニメ涼宮ハルヒに登場した劇中ゲームをツクダの銀英伝システムでプレイする同人ゲームです。
 K藤2号さんとT之内さんがプレイしていました。

 ドイツ装甲師団長はT島さんがD井さんとプレイしていました。

 スモレンスク攻防戦はY口さんとHさんがプレイしていました。
 Y口さんは初プレイ、Hさんは経験者ですが、過去のプレイは全てソ連軍でした。今回はHさんは独軍です。
 最初のターンにソ連軍は南方に増援マーカー3個を配置し、クリチェフ周辺を要塞化します。それに対し、独軍は攻めあぐね遠巻きに戦線を張るだけです。
 独軍は第1ターンにスモレンスクを占領しますが、ソ連軍は後退せずに戦線を張ります。その際、最西端のユニットが包囲される位置にありましたが、観戦者(私だ(笑))が口を滑らせたので、ソ連軍は配置し直していました。
 独軍はスモレンスク方面で徐々に戦線を東に押していきますが、後方をソ連第20軍の増援部隊に突かれたりして乱戦の様相を呈します。
 イェルニャを独軍は占領しますが、すぐにソ連軍は増援を投入し、独軍は早々に撤退していきます。
 その後、ソ連軍はロスラウリ方面、イェルニャ方面と部隊を投入し、戦線を広げます。独軍はそれらに一々対応していたため、どこの戦線も戦力が足りない状況となります。
 それでもクリチェフ方面とスモレンスク方面を主攻として、クリチェフは占領しますが、スモレンスク方面は膠着状態となってしまいます。
 最終的に、ロスラウリ、ヤルツェボをソ連軍は維持し、白帯部隊の得点も1VP得ていました。独軍はスモレンスクを占領したのみです。最終ターンに独軍はポチノフを奪回出来る可能性はありましたが、それだけで、最終ターンを待たずしてソ連軍が勝利していました。

 第1次世界大戦をK全さんとプレイしました。
 私が協商軍、K全さんが同盟軍です。K全さんは初プレイ、私もしばらくプレイしていなかったので、かなりルールを忘れています。
第1ターン
 初プレイの独軍は西部戦線の定石を知らなかったため、ヴェルダンとブリュッセルを占領しただけです。尤も、本誌のリプレイ記事を読んでいれば知っているはずなのですが。
 大した損害を受けなかった仏軍はセットアップラインに塹壕を構築し、戦線を固めます。こちらは無損害だった、英軍はベルギーに前進します。
 セルビアが早々にオーストリアに征服されます。
 独軍は東部戦線ではケーニヒスベルグを放棄して戦線を整理しています。
 露軍は5ユニットを活性化すると全力で前進を開始します。
第2ターン
 独軍は早々に西部戦線での攻勢を諦め、塹壕を掘って守備を固めます。英仏は戦力の蓄積に走り、膠着状態が始まります。
 膠着した西部戦線に代わって、独軍は東部戦線で攻勢に出、露軍1個を撃滅します。それでも、露軍は前進し、同盟軍の戦線に密着し、浸透を狙います。
第3ターン
 同盟軍は東部戦線で全面攻勢に出ますが、まるで振るわず、1ユニットを後退させただけです。露軍は前進しますが、流石に戦線が広がりすぎて来たので、戦線を直線化して穴が開かないようにします。
 その他の戦線に動きはありません。
第4ターン
 戦線の直線化が裏目に出ました。独墺軍の大攻勢で露軍は4ユニットが撃滅され、3ユニットが包囲されて消耗してしまいます。堪らず、露軍は戦線を後退させます。このターンからロシア革命対策で動員ポイントが2ポイントとなり、更に弾薬不足で活性化に2ポイントが必要というほとんどいじめとしか思えないルールが適用され、露軍は以降、毎ターン1ユニットを新たに動員することしかできなくなります。逆にそれ以前は全てのポイントを部隊の活性化に使用して、全く攻撃を行うことなく、動員ポイントの蓄積に励んでいました。攻撃の代わりに浸透移動で圧力をかける方針だったのです。しかし、独軍が早々に東部戦線に全力を投入したため、自殺行為となってしまいました。
 イタリアが参戦しますが、墺軍の対応は要塞守備隊を活性化させるだけでした。そのため、伊軍は国境を越えて浸透します。その後方には仏軍2ユニットが続きます。
 英軍も動きます。ガリポリに2ユニットを上陸させたのです。
第5ターン
 独軍は伊軍の押さえに1ユニットを墺伊国境へ送ります。そんなことにはお構いなく、伊軍は更に浸透し、南はトリエステ包囲まで後1ヘクス、北はミュンヘンに隣接します。
 東部戦線では独軍の攻勢が継続していますが、1ユニットの撃破にとどまり、2ユニットは取り逃がしてしまいます。露軍は後退して戦線を整理します。ケーニヒスベルグ、ブレストリトフスクを結ぶラインにまっすぐ戦線が引かれます。前のターンもそうですが、3ユニット一組で全ての前線ユニットに後方連絡線を引くためのユニットを付けてあるため一撃で大崩壊とはならないようにしています。
 ガリポリの英軍は4ユニットに増強され、順調に半島を北上します。独軍の妨害がなければ3ターン後にトルコを征服する予定です。
 西部戦線は相変わらず膠着状態が続いています。
第6ターン
 同盟軍は東部戦線とイタリア戦線で攻勢に出ます。
 東部戦線では露軍1ユニットを撃滅し、戦線を1ヘクス東へ押し込みます。しかし、墺軍の不用意な前進の隙を突いて露軍が戦線に浸透、墺軍3ユニットが包囲されてしまいます。
 イタリア戦線では同盟軍は北方の伊軍を叩き、ミュンヘンへの脅威を排除します。この方面には独軍2、墺軍6ユニットが終結しています。それでも仏軍は攻勢に出て、トレントを陥落させ、伊軍は浸透して、トリエステを包囲します。次ターンでのトリエステ陥落は確実であり、それによりオーストリアは戦争から脱落するはずでした。
 トルコ戦線は独墺軍の介入がないため、危なげなく英軍は戦線を進めて行きます。
第7ターン
 独軍は包囲された墺軍を救うべく東部戦線で救出作戦を発動し、露軍2ユニットを撃滅して補給線をつなぎます。その過程で露軍1ユニットを包囲します。それに対し、露軍は初めての攻撃を行い、包囲された墺軍への補給線を切断することに成功します。これにより墺軍3ユニットが消滅し、東部戦線南方が崩壊します。
 イタリア戦線では同盟軍がトレント奪還作戦を発動し、仏軍2ユニットを撃滅し、トレントを奪還、更に南方で浸透した伊軍の補給線を切断します。最前線で孤立していた伊軍がトリエステに後退し、これを陥落させます。更に仏軍も増強され、次ターンに投入可能となる戦車攻撃によりトレント占領をもくろみます。
 トルコ戦線はついにコンスタンチノープルを射程におさめます。
 ルーマニアが参戦し、オーストリア領へ侵攻を開始します。
第8ターン
 同盟軍は東部戦線で防御に転じ、後退を開始します。露軍は同盟軍の後退に乗じて前進を開始しますが、独軍はまだ反撃能力を失っているわけではないので慎重な前進となります。
 イタリア戦線では独軍はストルストルッペン2ユニットを投入し、協商軍の戦線を崩壊させます。仏軍2ユニットが壊滅し、1ユニットが包囲され、伊軍1ユニットが壊滅、1ユニットがトリエステに孤立します。この大災厄を生き延びたのは伊軍1ユニットのみ。最前線のストルストルッペンはミラノに隣接するところまで進撃しています。戦線崩壊に慌てた連合軍は、送れる部隊をありったけイタリアにおくります。仏軍2ユニット、参戦したばかりの米軍2ユニットを投入、再編成された伊軍と合わせ8ユニットが同盟軍8ユニットと対峙します。しかし、各国の寄せ集めの上に、イタリア半島を分断されるため、戦力が2分されてしまっていて実効戦力はとても及びません。
 トルコ戦線では土軍が絶望的な反撃を行い、コンスタンチノープルから打って出ますが、順当に壊滅していました。こうしてトルコは英軍に征服されます。
 西部戦線でついに動きがありました。英仏軍が新兵器の戦車を前面に押し出してきたのです。ブリュッセル北方の塹壕に籠もる独軍2ユニットが壊滅し、ブリュッセルの部隊も包囲下に取り残されます。
 バルカン方面ではギリシャ軍と英軍3ユニットがブルガリアを蹂躙していきます。
第9ターン
 同盟軍はカイザー攻勢を宣言。低下した国力を顧みず戦争を続けます。
 東部戦線は同盟軍は遅滞行動で徐々に下がっていきます。露軍はトルコ経由で英仏の支援を受けて久方ぶりに部隊の活性化を行い、攻勢に出ます。
 イタリア戦線は同盟軍が半島を分断し、アルプス方面では最前線が仏伊国境まで1ヘクスとなります。それに対し、仏軍はこの方面に戦車を投入し、最前線のストルストルッペンを包囲することに成功します。尤も、助攻のアドリア海沿岸での米軍の攻撃が成功していたらイタリア戦線の全同盟軍を包囲撃滅することが出きていたのですが、墺軍の死守が成功して果たせませんでした。しまった、ここに米軍の戦車を投入していたら成功していたじゃないか。
 バルカン方面ではブルガリアが征服され、英軍1ユニットが北上ルーマニア方面から東部戦線の露軍に合流しようとしています。
 西部戦線では独軍がストルストルッペンを使用した攻勢で失地を回復し、更に前進を果たしていました。しかし、英軍の反撃を受けて戦車突破され、ケルンを占領されてしまいます。ケルン陥落の報にドイツ全土で革命の炎が燃え上がり、同盟軍の敗北が確定しました。

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