2005年1月22日(土)TSS例会報告

 当日の参加者は7名。
 プレイされたゲームは、OKINAWA(コマンド)、10 DAYS in AFRICA、ビッテンフェルト奮戦記(同人)、ヨーロッパエンガルフィード(GMT)、日露戦争(コマンド)、メトロ等です。

 OKINAWAはS枝さんとD井さんがプレイしていました。
 3ターンほどプレイして大和が沈んだところでやめていました。
 日本軍をプレイしたS枝さんが、米軍の司令部を蹂躙したと言って喜んでいました。やられたD井さんは「超絶クソゲーだ!」とわめいていました。

 ビッテンフェルト奮戦記は銀河英雄伝説のアムリッツァ会戦のミニゲームです。
 1個艦隊が1へクスに収まるスケールで、タイトル通りビッテンフェルトが活躍しないと帝国軍プレイヤーは勝利できないと言う変わった切り口のゲームでした。
 遠方から時々参加されるKさんとK藤2号さんがプレイしていました。

 10DAYS in AFRICAは最近の定番ゲームになっています。
#アフリカ麻雀と呼ばれて親しまれています。
 Y口さん、Kさん、私の3人プレイでした。私が勝ちましたが、他の2人もテンパイまでいっていたそうです。

 ヨーロッパエンガルフィードをK藤2号独、K仏、T島ソでプレイしていました。

 日露戦争をプレイしました。Y口さんが日本軍、私がロシア軍です。
 今回ロシア軍は旅順重視策を採り、第1ターンの増援と司令部予備の全てを遼東半島に送りました。
 しかし、日本軍は強かった。
 第2ターンに南山前方で守備についていた2個旅団の内の1個旅団を撃滅されます。
 南山を放棄して地峡部で守りますが、第3ターンEX、第4ターンEX、第5ターンEXRと言うロシア軍に取って最悪の結果を立て続けに喰らって、丁度補充が枯渇したところで地峡部から叩き出されてしまいます。
#早いうちにDRとかで地峡部を失うのならロシア軍にも余力があるので遼東半島での遅滞作戦なり、要塞籠城に切り替えるなり、手があったのですが、、、。
 EXRだったので、戦闘後前進してきた日本軍は1個旅団のみです。ロシア軍はこれに対して乾坤一擲の反撃を行います。この3対1攻撃はしかし、EXで失敗。
#せめてこの攻撃で地峡部を回復できていればまだ希望があったのに、、、。
 第6ターンには反撃のために集結したロシア軍が日本軍に攻撃され、これは2対1の戦闘比でしたが、結果はDD。この一撃でロシア軍の予備兵力はほぼ枯渇してしまいます。完全に枯渇させるわけには行かないので、遼東半島のロシア軍は要塞歩兵以外は全て裏返ってしまいます。
 ロシア軍はもう1ターン要塞外で粘りたかったのですが、日本軍ZOCに進入できるユニットが無くなってしまったため、旅順要塞に籠もらざるを得ません。それでも要塞への攻撃正面を限定するため要塞外に1個旅団を配置し、なけなしの補充1ポイントを使用します。
 日本軍は旅順直接攻撃も可能でしたが、要塞外の1個旅団を抹殺して要塞に取り付きます。
#結果的にロシア軍は1ターンは稼げたわけです。まだ7ターンなので日本軍に余裕があったからですね。
 ロシア軍は旅順要塞2ヶ所に戦力を集結しますが、要塞歩兵以外は裏なので大した戦力になりません。
 日本軍は手堅く1ターンに1ヘクスずつ確実に攻略していき、旅順市街への攻撃は10ターンに行われました。ロシア軍は旅順市街に完全戦力の要塞歩兵と水兵部隊、減少戦力の1個旅団の17戦力で籠もります。旅順が持ちこたえた場合のことを考えて最後の1補充ポイントは残しています。
 日本軍は28cm砲を集結して4対1攻撃を行います。結果はDD。旅順は陥落しました。
 その時の満州方面は最前線は鉄嶺、ロシア軍司令部は四平でした。
 このプレイでの日本軍は第5ターンぐらいまで戦闘結果は考え得る限り最高の結果しか出ていなくて、ロシア軍としてはお手上げ状態でした。
#その反動か明石大佐は全く振るわなかったけれど。

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